社会派ブロガー・ちきりんさんが、ダイヤモンド社から刊行する「現代を生きぬくための根幹の力」を解説するシリーズは、新刊『自分の意見で生きていこう』をあわせ、累計40万部を超えるヒットになっています。
ちきりんさんのブログから同シリーズと関連する記事を転載する連載の3回目は、「生産性」がテーマです。
※この記事は、2013年10月15日公開の「Chikirinの日記」を転載したものです。

生産性の概念の欠如がたぶんもっとも深刻(「Chikirinの日記」より)Photo: Adobe Stock

長く働いていた外資系(アメリカ系)の会社を辞めてほぼ3年。まったく英語を使わなくなった。

「日本って、今でもこんなに英語が不要な社会だったんだ」とは驚いたけど、それはそれで「まあ、いいんじゃないの」と思ってます。

だって今どき母語だけで暮らしていけるなんて、すごく恵まれた国だってことだから。

「英語が話せない人と、まともな仕事につけませんよ」みたいな小国と比べて、平和で呑気でいい感じ。

なんだけど、ここ3年、どっぷり日本社会に浸ってみて感じるもうひとつ別の欠如については、「これはちょっと深刻な問題でしょう」と思えます。

それは……「生産性の概念の欠如」

日本って「生産性」という概念があるのは、工場の中だけなんじゃないの?

それ以外のところ、たとえばメディアや公的部門、さらには民間企業のホワイトカラー(管理)部門から営業まで、

「この人たち、もしかして生産性っていう概念を全く持たずに働いてる?」

と思えて、びっくりさせられたことが何度もあった。

最初は「あたしが会ってる人がタマタマそうなの?」と思ったけど、最近は(あまりに皆がそうなので)「もしかして日本って、工場(製造部門)以外には、ほんとーに、そういう概念がないのかも」と思えてきた。

たとえば、朝からずっと一生懸命、仕事をしてる(つもり)
で、夕方5時になる。
もちろんその段階では、「いまいちなものしか、できあがっていない」

なので、5時から、当然のように「頑張る」
夜の9時になる
でも、もうちょっと「頑張ったら」、もうちょっとよくなるんじゃないかと思える。

なので、夜の9時から、当然のように「頑張る」
ふと時計を見ると、夜中の12時を過ぎている。
「はっ!」と思って、頑張るのをやめて、終わりにする。

こういう仕事の仕方をしてる人が多過ぎです。

しかもその翌日に、「昨日、夜中までかかって仕上げた仕事を、残業せずに夕方5時までに終わらせようと思ったら、どういう方法がありえたんだろう?」といった振り返りを誰もやらない。

だから、いつまでも(何十年も!)改善しない。

ってか、「生産性ってそうやって上げていくものなんだ」ってこと自体を知らないんじゃないかな。

もっといえば、長いこと働いたことによって、“よく頑張ったなオレ”的な達成感まで得てるんじゃないかと思え、あまりの常識の違いに愕然とする。

たとえば(日本で唯一、生産性という概念が根付いてる)製造部門だと、「コストを3%下げる」っていう目標と、「コストを3割下げる」っていう目標を定常的に組み合わせて生産性を上げていく。

3%の方はこまごました改善の積み重ねで達成し、3割下げるほうは、設計思想とか組み立て工程を抜本的に見直したり、調達先を国内から海外に移す、もしくは、系列以外からも調達するとか、どーんと発想を変えることで実現する。

そういうことを何度も繰り返し、生産性を上げる工夫を日常的に続けてる。

でもホワイトカラー部門って、そういう発想がまったくない。

「今日、8時間かかった仕事を、5時間で終わらせるにはどうすればいいか」って真剣に考えたり、部門内で話し合ったり、実際に新しい方法でやってみて生産性を比べてみたり、してます?

とても、してるようには見えない人&会社が多すぎる。

一例に過ぎないけど、出版とかメディアの業界もひどい。ここ3年、それなりの数の人に会ったけど、生産性の概念をもってる人って皆無に近い気がします。

本当はホワイトカラー部門だって、「労働時間を3%短くするには、やり方をどう変えればいいか?」、「3割少ない時間で、今と同じ成果に達するには、どんな方法を取り入れればいいか」と継続的に問わなくちゃいけない。

定期的に目標を掲げ、それを達成するための方法を部門全体で話し合い、やってみて、ダメだったら改善して、工夫して……そういう地道なプロセス無しに生産性の上がる組織(&人)なんて、いないんだってば。

反対に、そういう努力をすれば確実に生産性は上がるし、余った時間はよりクリエィティブな仕事や、家庭や趣味など個人の時間に回せる。

そうしてこそイノベーションが生まれ、そうしてこそワークライフバランスが可能になる。

それなのに、そういう試みを全くやったことさえなく、30歳になっても40歳になっても、「まだできてないんで、もうちょっと頑張ります」みたいな人ばっかり。

これにはほんとーに驚かされる。

外資系(アメリカ系というべきかも)の企業で、「3時間長く働いたので、3時間分、成果の完成度が上がりました」みたいなことを評価してくれる会社はないと思うんだよね。

たとえホワイトカラーでも、管理部門でも、もちろん、少々クリエィティビティが問われる仕事でも、「生産性」は常にものすごく意識されてる。

個人も部門も、「去年より今年は、どう生産性が高まったんだ?」と、毎年、当然のように問われる。

長時間労働がよくないと言う人は多いけど、生産性を上げずして労働時間を減らせるわけないじゃん。

だって、労働者からみれば「生産性を上げずして、労働時間を減らす」=「給与が減る」ってことだし、企業側からだと、「生産性を上げずして、労働時間を減らす」=「売上げが減る」だからね。

だから、会社側に加え働いてる側にも「労働時間が減ったら困る」みたいな感覚がある。

「残業代でローンと教育費を払ってます。なので、労働時間、短くなるの困ります」って……。

そこには、「働く時間を2割減らして、生産性を4割向上して、仕事時間は短くなったけど、より高い成果をだし、より儲かるようになったから、給与も増えた」という状態を目指すべきなのだという感覚が、(たぶん最初から全然)無い。

前に、「将来有望な若者の将来価値が、大企業に入ることで毀損される」というエントリを書きました。

具体的に何が毀損されるのかに関しては、スピードとか意思決定プロセスとかいろいろあるんだけど、その根幹には「生産性概念を身につけられない会社が多すぎる」という問題がある。

40歳くらいになって、まだ一度も、「この前と同じレベルの成果を出すのに、次は前回より3割、かかる時間を減らすには、どんな方法があるんだろう?」と考えたことのないような人は、まじで「それはとてもヤバい状態なのだ」と理解したほうがいい。

結論を書いておきましょう。

生産性を上げる以外に、給与を上げる方法はありません。

もちろん、

生産性を上げる以外に、国が、企業が、家計が、より豊かになる方法もありません。

生産性を上げずにポケットの中のお金を増やす方法は、「より長い時間働く」ことだけなんです。

それでは「豊か」になれないでしょ。それじゃあ単なる「ブラック環境への道」になってしまう。

そして、さらにもうひとつ大事なコト。

生産性を上げる以外に、自分の人生を自分の手に取り戻す方法はないんです。

わかってる?

そんじゃーね