怒りや恨み、ねたみの感情と問題解決手段

 いじめを早期に発見し、重大化を防止する目的で定められた「いじめ防止対策推進法」(以下、『いじめ防止法』)という法律があります。その中では、相手が「心身の苦痛」(いじめ防止法第2条1項)を感じる行為をいじめと捉えて対処していくことが求められています(前シリーズ「いじめ防止対策推進法による定義」参照)。

 今回のケースでAくんは、一連の行為により、つらい、部活を辞めたい、学校に来たくないなどと思うようになっており、「心身の苦痛」を感じています。したがって、「根拠のないうわさを流す」「イヤミや陰口を言う」「無視する」「身体に害を加える旨を告知する手紙を入れる」という行為は、法律上のいじめに該当します。

 ただ、ここで「Aくんにした行為は、いじめ防止法が定めるいじめだ」と言ってサッカー部員たちを責めるだけでは、根拠となる法令を変えたにすぎず、先ほどのように「犯罪」を持ち出して責め立てるのと同じことになってしまいます。「自分たちの行為はいじめではない!」という強い反論や抵抗が起こることも容易に想像がつきます。

 大切なのは、部員たちの言い分を聞きながらも、「何がいけなかったのか」を適切に指摘し、「どうすればよかったか」「これからどうしていくか」を真摯(しんし)に考えてもらうことです。

 まず、第1回で紹介した通り、私たちの心の内(内心)は“絶対的に”自由であり、極めて高い価値を有すると考えられています(内心の自由、憲法第19条など)。内心は、私たちの人格や尊厳の根幹だからです。したがって、たとえネガティブな感情であっても、私たちの人格の重要な一部であることを認識するのはとても大切なことです。

 そのため、部員たちの怒りや恨み、ねたみという感情自体は安易に否定せず、彼らの選んだ「根拠のないうわさ、イヤミ、陰口、無視」という手段がAくんの尊厳を傷つけ、社会的にも許容されないものであったことを端的に指摘する必要があります。

 つまり、「Aくんに対する怒りや恨み、レギュラーに再び選ばれたことへのねたみや納得できない気持ちをうまく解消できない」という、部員たち自身が抱える問題を解決する手段の選択が誤っていることを明示するのです(前シリーズ「手段の選択」参照)。

 この点を明確にできないと、部員たちはきっと、怒りや恨み、ねたみという感情そのものを否定された、または人格そのものを否定されたと感じて反発するでしょう。また、自分たちが解決手段の選択を誤ったことを明確に認識できないため、個人の尊厳を傷つけない“他の解決手段”を学ぶ機会も失われてしまいます。

 そうなれば、Aくんに対して謝罪する気持ちも生まれにくくなるため、Aくんの尊厳の回復からも遠ざかってしまいます。

 なお、具体的な”他の解決手段”としては、例えば、怒りが収まるまで少し時間を置く、オウンゴールなどの失敗を繰り返さないようAくんと話し合って原因究明する、監督にAくんを起用する真意を聞いてみる……などが考えられるでしょう。