ひろゆきが断言「『いじめられる側にも問題がある』は100%間違い!」ひろゆき氏(撮影:榊智朗)

現在、若者を中心に圧倒的な人気を集め、フォロワー数が急上昇中の、ひろゆき氏。全国のベストセラーランキングで続々と1位を獲得し、34万部を突破した著書1%の努力』では、その考え方について深く掘り下げ、人生のターニングポイントでどのような判断をして、いかに彼が今のポジションを築き上げてきたのかを明らかに語った。
この記事では、ひろゆき氏に気になる質問をぶつけてみた。(構成:種岡 健)

「いじめ」はなぜ起こるのか?

「いじめ」の問題は、度々、議論が巻き起こります。なので、僕の考えを述べておこうと思います。

 まず、どんな人も生きやすくなるためには、「いじめは無くならない」という前提で生きたほうがよいと思います。これは、いじめを肯定しているわけではなく、現実を受け入れるということです。

 交通事故はゼロになったほうがいいに決まっています。しかし、一向に無くなりませんよね? つまり、起こる可能性があると思って生きているほうが、みんなが交通ルールに気をつけることができますから、「事故は無くならない」という現実を受け入れておいたほうがいいのです。

「いじめ」が起こったときに、まず「いじめた側」が責められます。もちろん、いじめた本人が悪いのは当然です。しかし、いじめが起こってしまう「システム」のようなものにも目を配ってみましょう。

「いじめ」をすると、いじめをする人たちの結束が高まります。アメリカという国は、仮想敵を設定することで国民の愛国心を高めます。「イラクが敵だ」「ロシアが敵だ」と決めてしまうことで、国の中の団結力があがります。これは、集団心理の仕組み上、なかなか変えられないことです。

 つまり、いじめたい人が明確にいるからいじめているわけではなく、「誰でもいいから、いじめたい」という空気感が先に立ち込めるのです。そうなってしまうと、相手は誰でもよいのです。だから、いじめられる側の人が学校や会社からいなくなったら、今度は別の人がいじめの対象者になってしまいます。

「いじめられる側が悪い」は正しいのか?

 いじめをする人の言い分として、「いじめられる側にも問題があるよね」ということがよく言われます。目立った行動をしたり、集団に合わせたことをしていないから「いじめてもいい」という論理です。

 でも、これは僕は100%間違っていると思います。

 いじめられる側に「問題」があるのではなく、いじめる側が目ざとく、いじめるための「原因」を見つけ出して、「理由づけ」をしているのです。「髪を染めている」「両親がいない」「外国人の血が入っている」など、自分たちとは異なる部分を見つけ出して、それをいじめる理由に仕立て上げているのです。

「期間限定」でやり過ごそう

「いじめが起こる空気」は、自分たちと似た性質の人が多い、比較的「閉じた集団」で生じます。地元の小学校や中学校ではいじめが起こりやすいですが、全国から学生が集まるマンモス大学や、転職者の多いグローバル企業などでは、いじめは起こりにくくなります。

 さまざまなタイプや特徴がバラけていればいるほど、いじめが起こる空気感は薄まっていきます。

 もし、今、いじめによって苦しい思いをしている人がいるなら、現在の学校や会社、バイト先などは、「期間限定でしのぐ。あるいは、いったん我慢する」というスタンスを貫いたり、さっさと辞めたりして、もっと雑多な人が集まるところに移るようにしましょう。たとえば、都会であればあるほど、個人の居場所は見つかりやすくなります。それまでの修行期間は、なんとか考えを変えて耐えてほしいなと思います。

ひろゆき
本名:西村博之
1976年、神奈川県生まれ。東京都に移り、中央大学へと進学。在学中に、アメリカ・アーカンソー州に留学。1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、株式会社ニワンゴの取締役管理人に就任し、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。2019年、「ペンギン村」をリリース。主な著書に、34万部を突破した『1%の努力』(ダイヤモンド社)がある。