1976年の初版版発刊以来、日本社会学の教科書として多くの読者に愛されていた小室直樹氏による危機の構造 日本社会崩壊のモデル』が2022年に新装版として復刊された。社会学者・宮台真司氏「先進国唯一の経済停滞や、コロナ禍の無策や、統一教会と政治の癒着など、数多の惨状を目撃した我々は、今こそ本書を読むべきだ。半世紀前に「理由」が書かれているからだ。」と絶賛されている。40年以上前に世に送り出された書籍にもかかわらず、今でも色褪せることのない1冊は、現代にも通じる日本社会の問題を指摘しており、まさに予言の書となっている。【新装版】危機の構造 日本社会崩壊のモデル』では、社会学者・橋爪大三郎氏による解説に加え、1982年に発刊された【増補版】に掲載された「私の新戦争論」も収録されている。本記事は『【新装版】危機の構造 日本社会崩壊のモデル』より本文の一部を抜粋、一部編集をして掲載しています。

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日本人の思考の盲点

 最近(1976年当時)、また、日本人論が盛んである。再び日本が国際社会の檜舞台に登場することによって、日本人固有の欠点がしだいに露呈されてきたからである、と思われる。日本人論といえば、明治二〇年代の国粋主義鼓吹、同四〇年代の東西文明の統一を唱えたもの、さらに、昭和一〇年代に近代の超克を唱えた日本文化論、そして同三〇年代の日本を再評価するもの、同四〇年代後半の外国人などによる日本人論と続く(『中央公論』四七年九月号)系譜があった。

 しかし、このような日本人論のパターンは、要するに、「日本人は、これこれの欠点があるから反省せよ」というに尽きる。でも、これではほとんど意味はあるまい。「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、個人の場合にもあるけれど、社会全体に関していえば、問題点がいくら指摘されても、それだけではどうしようもないという場合が多い。

 その理由は、社会全体の作動様式は、それを構成する各個人の単なる心構えだけによって左右しうるほど単純なものではなく、システム全体における諸要因の連関様式とそれらの構造によってもまた規定されるからである。

 たとえば、戦時中、増産と科学の振興が叫ばれた。そして、全国民もそのために努力したつもりではいた。しかし、生産は思うように向上せずヤミははびこり、人びとは何か自然の法則に逆らってもがいているの感を避けえなかった。また、科学も振興せず、科学戦においても日本は敗北してしまった。このように、社会現象に対する科学的分析を欠いた単なる思いつきは、現実の制御のために全く無力である。

 この「社会現象に対する科学的分析能力の欠如」こそ、日本人の思考の盲点であり、これによって、かつて日本は破局を迎え、そして現在もまた迎えようとしているのである。ゆえに、このことは、強調されすぎることはない。日本人が、現在においても、いかに社会科学的分析能力を欠いているかは、最近の物価急上昇に際して、火がついたように政府の「統制」を叫んだことだけをみても明らかだろう。経済とは、そんなに簡単なものだろうか。

 政(幕)府の命令一本で物価が統制できるくらいなら、天保の改革だって失敗しなかったにちがいない。経済学が今日ほど普及した時代においてすら、多くの日本人の思考様式は、水野忠邦のそれと本質的に異なるものではない。一億が一心となって火の玉のように突進すれば、科学も振興し、生産も向上し日本は勝利する、という単細胞的思考法と、現代日本人の思考法とは、その論理において、一体どれほど異なるのであろう。