1976年の初版版発刊以来、日本社会学の教科書として多くの読者に愛されていた小室直樹氏による危機の構造 日本社会崩壊のモデル』が2022年に新装版として復刊された。社会学者・宮台真司氏「先進国唯一の経済停滞や、コロナ禍の無策や、統一教会と政治の癒着など、数多の惨状を目撃した我々は、今こそ本書を読むべきだ。半世紀前に「理由」が書かれているからだ。」と絶賛されている。40年以上前に世に送り出された書籍にもかかわらず、今でも色褪せることのない1冊は、現代にも通じる日本社会の問題を指摘しており、まさに予言の書となっている。【新装版】危機の構造 日本社会崩壊のモデル』では、社会学者・橋爪大三郎氏による解説に加え、1982年に発刊された【増補版】に掲載された「私の新戦争論」も収録されている。本記事は『【新装版】危機の構造 日本社会崩壊のモデル』より本文の一部を抜粋、再編集をして掲載しています。

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日本は歴史から学び取っているか

 われわれが注目しなければならないことは、国際政治の初等的論理が、全くわが国の指導者や国民に理解されていなかったことである。

 なんという外交オンチであろうか。歴史オンチであろうか。そして、このことこそ最も強調されるべきことであるが、社会科学オンチであろうか。

 しかしこのことは、昭和14年になって、忽焉として現われてきたことではない。禍根はさらにさかのぼる。第一次大戦終結によって、日本は五大国にのしあがった。海軍については三大国である。が、不幸にして日本人はこのことを理解しえなかった。ヴェルサイユ会議をはじめとする戦後における主要国際会議で、日本代表は「沈黙の全権」といわれた。何も発言しなかったからである。これらの会議においては、いうまでもなく、戦後の世界の動向を決定するような多くの議題が論じられた。

 しかし、それらの大部分は、日本と直接関係のないものであった。ゆえに、日本代表の関心の的とはなりえなかった。彼らはどうしても、「直接日本に関係のないことであっても、めぐりめぐって日本にとって重大なことになる」という国際社会の論理を理解しえなかったのである。

 吉田茂は、外務次官のとき、田中(義一)首相の通訳をつとめたことがあった。そのとき、バルカンの代表がやってきて、自国がおかれた立場について詳細に説明し日本の了解を求めた。これを聞いた田中首相は、(こんな日本になんのかかわりもないことについて日本の了解を求めることについてあきれて)日本語で「こいつ、ばっかじゃなかろうか」と大声をあげたので、吉田茂は訳すのに困ったといわれる。

 国際政治の定石からいえば、的外れなのは、田中首相のほうなのである。重要事項に関して列強の了解を求めておき、その後にはじめて行動の自由が得られるということは、国際政治の定石である。こんな定石すら、戦前日本の指導者は理解しえなかった。そしてこの無理解はきわめて高いものについた。

 つまり、このことを理解しえなかったことこそ、日本の致命傷となったのである。今日(1976年当時)ではだれしも、「支那事変」が日本の命取りになったことを知っている。その理由については多くのことが語られているから、ここでそれらの大部分を繰り返す必要はないが、右に述べたこととの連関において注目すべきことは、日本の指導者が、「中国への鍵はアメリカにある」ことを理解しえなかったことである。つまり、国際政治においては、すべてがすべてに依存しあっているから、中国問題は中国問題にとどまりうるものではない。その影響は全世界に及ぶであろう。なかでも大きな利害を有するのは、米英仏ソであるが、当時において、実力によって日本の行動を制約しうるのはアメリカ以外にない。

 この意味において、「中国への鍵はアメリカにある」のである。これは、国際政治の連関メカニズムの理解の問題であって、日本がアメリカに隷属するかどうかという問題とは全く別の問題であり、カヴールが、イタリア統一の鍵はパリにあり、といったようなものにすぎない。そして、このことに関する日本の指導者および国民の理解の程度の低さは、まさに戦慄すべきほど幼稚なものであった。

 まして彼らには、バルカン問題や独ソ関係が、めぐりめぐって日本の進路にいかなる意味を持ってくるか、ということについて、教科書的知識すらどうしても理解することができなかったのである。そして、このことによって日本は破局を迎えるのであるが、現在日本人の行動様式、思考様式は、当時の日本人のそれらと、少しも変化していない。

 つまり、われわれは、あの大戦争とその結果を、科学的に学び取ることをまだしていないのである。ニクソン・ショックや石油危機を全く予知も分析もしえなかった日本の政治家や外交官は、なんと当時の平沼首相や外交官と似ていることであろう。遠いイスラエルとアラブとの戦争がめぐりめぐって日本に致命的影響を及ぼしうることを夢想もしえなかった田中角栄前首相は、遠いバルカン問題は日本とは全く無関係であると思っていた時の田中義一首相と、なんとよく似ていることであろう。