こうした交渉を行っても妥結点が見出せないなら、「移転」(あるいは「操業停止」など)も視野に入ってくる。ここで重要となってくるのは、「移転」というカードにはある程度実態が必要だということだ。ネゴシエーションでいうところのBATNA(Best Alternative to Negotiated Agreement)である。全く移転先のあてがないのに移転カードをチラつかせるのは、交渉がうまくいかないときに大きなダメージを被りかねない。悪く言えば「二股」ということにもなるが、「選べる選択肢が多いほど自分の交渉力は増す」というのが世の常である。いくつかの具体的な代替案を用意しながら交渉カードとして用いるのが良いだろう。

 ただ、あまり中小企業の場合はまだしも、大企業が露骨にこれをやると「弱い者いじめ」と取られるリスクもある。特に昨今はITの発達もあって、透明性が高まりつつある時代だ。十年前には理にかなったネゴシエーション戦術も、現代では評判リスクを考えれば必ずしも適切ではないというケースもありうる。特に海外移転の場合は、マクロで見たときの経済全体への悪影響という問題も無視できない。

 自社の置かれた立場や長期的な評判(レピュテーション)も考慮するなど、高度なバランス感覚が求められるといえよう。

スポーツビジネスにおいて
地元自治体との交渉で気をつけたいこと

 さて、今回は主に「移転カード」、すなわち「他にも代替がありますよ」「我々を失っていいんですか」という交渉カードを軸に地元自治体との交渉について議論してきた。

 もう一度スポーツビジネスに戻り、この交渉カードの有効性についてさらに考えてみよう。前ページでも述べたように、まずは実質的な代替都市があることが必要だが、もう1つ忘れてはならないのは、交渉相手や移転候補の自治体がどのくらい自分たちを必要としているかという度合いである。その見極めを間違うと、いたずらに高飛車に出て成立していたはずの交渉も流れてしまう、ということになりかねない。

 たとえば、先ほど述べたように、1988年時点で、大阪市や大阪府、さらには大阪地区の野球ファンは必ずしも南海ホークスというチームを必要としていなかった。すでに阪神タイガースという人気球団があったし、パ・リーグだけでも他に2球団が関西地区にあったからだ。おそらくこの時期にホークスが大阪市や府に何かを要求したとしても大した成果は挙げられなかっただろう。

 一方、移転先の福岡は、ライオンズという伝統ある球団が所沢に移転して以来、プロ野球団に飢えていた。九州は野球どころでもある。ダイエーという、関西発祥の親会社であるにもかかわらず、無駄に地元自治体と交渉するよりも、さっさと本拠地を福岡に移したのは正解だったといえよう。

 その後、ダイエーホークスは、市民、さらには九州のファンに愛されるべく経営努力を続けていく。特に高塚猛氏が球団代表を務めていた時期は、地元密着を進め、ホークスのロゴマークの著作権無料使用を認めるなど、斬新な施策を打ち出す。チームも王貞治監督の下、九州出身の選手を中心に力をつけ、ペナント争いの常連となった。経営母体はダイエーからソフトバンクに移ったが、選手の補強などには常に積極的で、いまや福岡にはなくてはならない存在になったと言える。現状であれば、何かあった時も、地元自治体に対しても有利な状況で交渉はできるだろう。相手と自分の力関係、特に選べる代替や相手にとっての必要度の見極めは必須といえよう。