2010年8月下旬、うだるほどに残暑が厳しい土日に、東京都墨田区の錦糸町駅周辺で賑やかな演奏が響いていた。
夏を代表するイベントに
なった「すみジャズ」
地方講演を終えて帰った私は、駅周辺のショッピングセンター前や公園などの空きスペースを利用して、ミュージシャンたちが楽器を奏でながら懸命に歌ったり演奏したりしていた光景に見とれた。配られたチラシを見ると、「第1回すみだ・ストリート・ジャズ・フェスティバル」が進行中だということが分かった。
当時、東京の新しいテレビ塔・スカイツリーがまだ建設中だった。スカイツリーをどううまく利用して地元経済や地域社会を元気づけるか、墨田区の行政、住民だけではなく、同区で働いている人々も、さまざまな形で模索していた。その試みの一つともいえる青空イベントが、このジャズフェスティバルだ。
しかし、住民や地元勤労者から発案されたこのイベントを応援すべきかどうか最初、墨田区が躊躇していた。詳しい理由は今さら追求してももう意味はない。イベントの開催直前になって、区はようやく後援のリストに名を書き入れた。日本社会でよく見られる現象だから、前例主義を重んじる自治体行政の態度を非難するつもりは全くない。実績が出れば、行政は積極的な応援者になるだろうと私は思った。
同区に住む住民の一人として、私は私で自分なりの行動を起こした。当時、朝日新聞に持っていた私の連載コラムに、多くのボランティアたちが手弁当で進めていたこのジャズフェスティバルを取り上げた。これはこのイベントに関する少ない全国紙の報道となった。私のコラムがイベント主催側の責任者の目にとまり、自然に私も微力ながら、そのイベントのサポーターの一人となった。