今、世界的に注目を集めているのがエピクテトスという奴隷出身のストア派哲学者だ。生きづらさが増す現代において、彼が残した数々の言葉が「心がラクになる」「人生の助けになる」と支持を集めている。そのエピクテトスの残した言葉をマンガとともにわかりやすく紹介した『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』が日本でも話題だ。今回は、本書の中から、「人々を不安にするものは、事柄それ自体ではなく、その事柄に関する考え方である」というエピクテトスの言葉を紹介する。

【世界が注目】古代哲学者が教える「不安の正体」Photo: Adobe Stock

出来事そのものに善悪はない

 人々を不安にするものは、事柄それ自体ではなく、その事柄に関する考え方である。

 ストア派の哲学によれば、不安に駆られること、悲しみに沈むこと、怒りに震えること、総じてこうした負の感情にさいなまれることが不幸の最大の原因である。

 そして我々は、様々な出来事に影響され、これらの感情にさいなまれる。こうした負の感情に囚われた時、我々は外界の事物や出来事を原因だと考えがちである。「あいつのせいで」「不遇な環境のせいで」という具合に、人間関係や自分の置かれた環境を恨んでしまう。

 だがエピクテトスは、こうした見方そのものを根本からひっくり返す。外界の事物や出来事はそれ自体として善悪いずれでもない。だから人間を苦しめるものでは決してない。それをどういった性質の事態として考えるか、その価値判断をくだすのは我々の考え方次第なのだ、と。

「不安」や「恐怖」は自分の考えから生まれる

「怖い森」という言い方がある。人影がなく昼でも暗くうっそうとした森は、そこに初めて足を踏み入れる人に対して恐怖を抱かせるには十分だ。

 だが、ひるがえってよく考えてみると、「怖い」と感じるのは、あくまで当人の主観にすぎず、森自体に「怖い」という性質が初めから備わっているわけではない。森を狩場とする熟練の猟師にとっては、何の変哲もない平凡な生活の場所なのである。

 都会育ちの子どもが小さな虫でも怖がるように、単なる「不慣れ」が恐怖の感情に結びつくことは多い。いったん感情に囚われてしまうと、それ自体はたいして危険でないものでも恐怖を感じてしまう。反対に、悪い意味で「慣れて」しまうと、本来恐れるべきものに対しても鈍感になってしまい、事故につながる場合もあるだろう。

 エピクテトスは、こうした感情に囚われた態度を、そもそも認識の誤りだと診断する。だから、不安や悲しみから脱却する道は、「自分がどういう考え方をしているか?」という徹底した自己反省に求められる。

(本原稿は、『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』からの抜粋です)