今、世界的に注目を集めているのがエピクテトスという奴隷出身のストア派哲学者だ。生きづらさが増す現代において、彼が残した数々の言葉が「心がラクになる」「人生の助けになる」と支持を集めている。そのエピクテトスの残した言葉をマンガとともにわかりやすく紹介した『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』が日本でも話題だ。今回は、本書の中から、「傷つけられたと君が考える時、まさにその時点で、君は実際に傷つけられたことになるのだ」というエピクテトスの言葉を紹介する。

「他人に振り回される人」と「そうでない人」の考え方の違いPhoto: Adobe Stock

人生の大半の悩みは「人間関係」

 傷つけられたと君が考える時、まさにその時点で、君は実際に傷つけられたことになるのだ。だからこのようにして、君がお互いの関係をじっくり観察するのに習熟するならば、市民から、隣人から、将軍から、彼らに対する適切な行為が何かを見つけることができるだろう。

 家庭でも職場でも学校でも近所付き合いでも、およそ人間関係のあるところ、相性の善し悪しや好き嫌いが生じるのはやむをえない。

 だが、どうしても憎たらしい上司のもとで働かなければならない、嫌な顧客を相手にしなければならない、苦手な先輩と共にしないといけない、といった場合も少なくないだろう。

 日常的な悩みやストレスの大半はこうした人間関係から生じている。多少の個人差はあっても、こうした経験に無縁な人はごく稀である。

 たとえば自分に対する上司の態度が、他の同僚よりもとげとげしい場合、「自分は上司から嫌われているのではないか」と思い、会社に行くのがおっくうになる。

 そういった人からすると、エピクテトスの「傷つけられたと君が考える時、まさにその時点で、君は実際に傷つけられたことになるのだ」という言葉は、突き放したアドバイスのように思えるかもしれない。

 だが、上司の態度に傷ついて、上司を避けるような行動ばかりしていても関係は改善しないだろう。その結果、いつまでも思い悩むことになってしまう。

嫌いな相手への先入観を捨てれば、見方が変わる

 エピクテトスの真意は、他人の一面的な言動だけを見て、「この人とは合わなそうだ」と簡単にわかったつもりになってはいけない、という点にある。

 ここでエピクテトスが、「君がお互いの関係をじっくり観察するのに習熟するならば」という条件をつけている点に注目したい。つまり、「先入観を捨て、相手、そしてお互いの関係をじっくりと理解するよう努めているか?」と問いかけているのだ。

 毎日顔を合わせるような人間であっても、我々は、その人間の一部始終を見ているわけではない。にもかかわらず、我々は「彼(彼女)は、あの時こんなふうに振る舞ったから」という印象だけで、人を好きになったり嫌いになったりしてしまう。そして、いったん嫌いだとか苦手だと判断してしまった人の行動は、それ以降もなかなかニュートラルに見ることができなくなる。すると、相手の良い面も見えなくなり、関係改善は難しくなる一方だ。

 我々は、会社の上司や同僚や友人、家族といった身近な存在をどこまで理解しているだろうか。日常的に顔を合わせているからというだけで、我々は安直に何でもわかったつもりになっているのではないか。

 人間関係のもつれを解きほぐす糸口を探すために、改めて「この人と私とは、どういう関係か?」と自問してみたらどうだろう。相手に対する先入観を一度取り払い、改めてお互いの関係を見直すことで、「もうこんな奴とは付き合えない」という結論以外の余地が生まれるはずだ。

(本原稿は、『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』からの抜粋です)