AI時代、最重要の教養の一つと言われる「哲学」。そんな哲学の教養が、一気に身につく本が上陸した。18か国で刊行予定の世界的ベストセラー『父が息子に語る壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書』(スコット・ハーショヴィッツ著、御立英史訳)だ。イェール大学オックスフォード大学で博士号を取得した哲学教授の著者が、小さな子どもたちと対話しながら古典から現代哲学まで一気に語るという前代未聞のアプローチで、東京大学准教授の斎藤幸平氏が「あらゆる人のための哲学入門」と評する。本稿では、同書より特別にその一節を公開したい。

「頭がいい人、悪い人」、考え方の1つの違いとは?Photo: Adobe Stock

アイスランドの「復讐」の話

「レックス、復讐の話をしてもいいかな?」

 ある日の昼食時、そう言ってレックスに話しかけた。そのときレックスは10歳だった。

「グロい話にならない?」

「ならないよ」

「じゃあ、していい」

「ちょっとはグロいかもだけど」

「その話、どうしてもしなくちゃいけないの?」

「ああ、そうなんだ」

「復讐について書いてるからでしょ?」

 10歳の息子に見透かされてしまった。

「じつはそういうことだ」

「わかった、していいよ」

 というわけで、私はレックスにアイスランドの英雄伝「グドムンド王の物語」の話をした。

「切られた腕」の値段は?

「スカリングというアイスランドの男が、港でノルウェーの商人たちを相手に商売をしていた。ところが取り引きのことでもめて、ノルウェー人がスカリングの腕を切り落としちゃったんだ」

「えーっ、グロいじゃん」

「だよな。でもグロいのはここだけだ。約束する。次にどうなるか知りたくない?」

「知りたいけど」

「スカリングは親戚のグドムンドという男に助けを求めた。グドムンドは男たちを集め、ノルウェー人がいる港に馬を走らせた。そこで彼らは何をしたと思う?」

「ノルウェー人を殺した」

「いや、そうじゃない。グドムンドは彼らに、切り落とした腕の代償をスカリングに払えと要求したんだ。その意味はわかる?」

「わからない」

「腕を失ったスカリングの気が少しでも治まるように、お金を払え、ということだ」

「そうか。で、払ったの?」

「彼らは、額が妥当なら払うと言った。でも、グドムンドが決めた値段は高かった。というか、すごく高かった」

「いくらだったの?」

「3​0​0​0ドル」

「それって高いの?」

「物語にはそう書かれている。当時、スカリングみたいな人を殺したら、これくらい払わなくてはいけないと考えられていた金額だったらしい。腕を切り落とした場合じゃなくて、殺してしまった場合の額が3​0​0​0ドルだったんだ」

「ノルウェー人は払ったの?」

「いや、払わなかった。彼らはグドムンドに腹を立てた。金額が高すぎたからだろうね」

賢い交渉人と愚かな交渉相手

「グドムンドはどうしたの?」

「当ててごらん」

「商人たちを殺しちゃった」。レックスが真顔になってきた。

「いや、殺さなかった」

「腕を切り落としちゃった!」

 レックスはタリオンの掟の感触をつかみかけていた(注:タリオンの掟とは「目には目を」のルールのこと。本書参照)

「いや、切り落とさなかった。でも、いい線に近づいてきたぞ。グドムンドはなかなか賢かった。切り落とす前に何をしたと思う?」

「払わなかったら、腕を切るぞと言った」

「そのとおり! グドムンドは、まず自分でスカリングに3​0​0​0ドル払った。それから、スカリングに代わって、自分がおまえたちのなかから一人選んで腕を切り落とす、と通告したんだ。腕を切り落とされたその男への補償は、おまえたちのあいだでいくらでも好きな額を決めるがいい、と言ったんだ」

「うまくいったの?」

「どう思う?」

「きっとノルウェー人はお金を払ったと思う」

「そう、3​0​0​0ドル払った」

「すごい、グドムンドって頭いい」とレックスは言った。

頭がいい考え方「自分事として感じさせる」

 グドムンドは賢かった。タリオンの掟も賢い。

 ノルウェーの商人たちが補償の支払いに応じたのは、グドムンドが彼らに、それを支払うことの重要性を強く認識させたからだ。商人たちが支払ったのは、それがスカリングの腕の代償ではなく、自分たちの仲間の腕を守るための代償に変わったからだ。

 ミラーが言うように、多くの人は「自分の腕を守るためなら、他人の腕の代償として支払う額以上の額をおとなしく支払うだろう」。それは理にかなっている。腕は元の持ち主の身体についているほうが役に立つのだから。

 グドムンドの頭のよさは、それ以外の点にも表れている。

 彼はノルウェー人にお金を払わせただけではなく、交渉の過程で、彼らのせこさを浮き彫りにして屈辱を与えた

 商人たちは、グドムンドにスカリングの腕の値段を決めさせることで、余裕のあるところを見せようとした。だが、提示された額に難色を示したことで、攻撃の糸口を与えてしまった。

 グドムンドは自分が示した高額の補償を自ら払うと宣言して優位に立った。対照的に、ノルウェー商人たちの臆病さがあらわになった。自分たちの腕が危険にさらされたとたんに支払いに応じたからだ。

(本稿は、スコット・ハーショヴィッツ著『父が息子に語る壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書』からの抜粋です)