『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら

発達障害かもしれない大学生の悩み「人間関係リセット癖があり友人ができない」どうすれば解決できる?【『独学大全』著者が答える】Photo: Adobe Stock

[質問]
 読書猿さん、こんにちは。読書猿さんの知恵をお借りしたいことがあります。

「友人の作りかた」について知りたいのですが、参考になる本やアドバイスはありますか?

 私はASDの可能性が高いと医者から言われている男子大学生です。
 表面的な人との付き合いはそれなりにこなせるのですが、(初対面の人からは「感じの良い人」という評価を受けることが多いです)それ以上に人と関わりを深めることができず、親しい友人がいません。
 いざというときに頼れる人、悩みを相談できる人はゼロ人です。

 いろいろあって家族と疎遠になってしまい、ほぼ一人で生活しているので、ふと孤独な自分が辛くなることがあります。またフィクションなどで目にする「友情」や「友人関係」に対して憧れと、自分の人生にそれが欠けていることのコンプレックスがあります。

 ネットでたまに「人間関係リセット癖」という言葉が使われていますが、私の場合も、意図してそうしているわけではないですがイベントが終わったり、学期が終わって授業で顔を合わせなくなると、それまで関わってた人との関係が継続されずリセットされてしまいます。

 こういった状況への対処法を探ろうと、人付き合いについての本や、読書猿さんの言及されていた「SST」の本などを見てみたのですが、職場や学校などで会話に自然と入る方法などを書いているものが多く、自分が求めている情報はあまり見つかりませんでした。
 私の場合は、こういった本で対処法が書かれている世間話やグループでの会話に入ることに苦手意識はないのですが、それ以上に仲良くなる方法がわからず、そのような成功体験もないのです。

 普通は友達になる第一歩は遊びに誘うことなのでしょうか?しかし趣味は本を読んだりネットサーフィンをしたりすることぐらいで、複数人で行う遊びの習慣はありません。

 長文になりましたが、こういった状況について、なにかアドバイスなどをいただければと思います。

P.S.
これまで、あまり頼れる人が居ないなかで、大学生として勉強や生活をこなしていくうえで、読書猿さんの記事や本が大変役に立ちました。おかげさまで、友人関係は薄くともそれなりに楽しく暮らしています。お礼申し上げます

「友人をつくる」は不適切。「出会う」と「育てる」に分けて考えましょう

[読書猿の回答]

 2つのことを申し上げなくてはなりません。

 まず友人はそこまでのものではないです。
 いざという時頼りになったり悩み事を相談できるとすれば、それは頼りになる人や相談できる人がたまたま友人だったからで、相手との友情が深くなったからではありません。
 フィクションに出てくる「友情」や「友人関係」は、ちょっと高機能すぎるというか、日常では何人もの人が手分けしてようやく実現できる機能を(作話コストの関係で)「親友」枠キャラ一人に一手に引き受けさせてしまいがちなので注意が必要です。

 もう一つ指摘すべきは「友人をつくる」というのはおそらく不適切な表現だ、というものです。
 むしろ「友人は出会うもの」+「友情は育てるもの」と2つに分けて考えたほうが良いように思います。

「友情は育てるもの」から考えてみましょう。
「去る者は日(ひび)に以て疎く、来たる者は日(ひび)に以て親しむ」というように顔を合わせなくなると人間関係がリセットされるのは当然の帰結です。逆に、芽生えた友情を育てるには、繰り返し「顔を合わせる」こと、そのために「連絡を取ること」、そのために「会う/連絡する理由を用意すること」です。

 例えば、あなたが、一緒に遊びに行った人たちから「あの子とまた遊びたい」と自然に思ってもらえるタイプの人なら、「遊びに出かける」という最初の切っ掛けだけで、「会う/連絡する理由を用意する」→「連絡を取る」→「顔を合わせる」のコンボが自動的かつ連続的に実現します。
 しかし世の中には、そういうタイプの人ばかりではありません。この場合は、一度「遊びに出かけた」だけでは、その後何もしないでいると、顔を合わす機会も理由も発生せず、時間経過により関係は立ち消えます。

 ではどうするか。友情や個人的魅力以外のところで「会う/連絡する理由を用意する」のです。
 効率的なのは、定期的に会う「集まり」を自前で立ち上げるか、それが難しい場合は、他の人が企画運営する「集まり」に参加することです。これは同時に「友人と出会う」可能性を高める行動であり、一石二鳥です。「友人と出会う」はどうしても偶然に左右されるので、確率を高める以外に当人ができることがあまりありません。

 さて、ここでいう「集まり」は、かなり広義に定義できます。
 たとえば、あなたもいうように大学の講義や授業も「他の人が企画運営する集まり」に相当するでしょう。アルバイトなども、この「集まり」になる可能性があります。講義や授業は週に一度、数ヵ月で終わってしまうので、これが短すぎるなら、もっと継続的な「集まり」を探すかつくるのを目標にします。授業タイプがよいなら語学教室に通う手もあります。好きな書き手や時間をかけて読みたい書物があるなら、読書会に参加するか自分で企画するのもいいでしょう。

 自前で「集まり」を立ち上げるメリットは、自分の好みや価値観に合う人たちと出会い、友情を育てることができる可能性が高いことです(そうなるよう「集まり」をデザインする必要がありますが)。
 頻度も継続も、(努力は必要ですが)自分の都合で決めることができるのもメリットです。
 いきなり自前で「集まり」を立ち上げるのが荷が重いなら、自分が作りたいものに近い「集まり」に参加して、経験を積む手もあります。似ている「集まり」なら、そこの参加者に「実はこういう集まりをやりたくて」と相談して、一緒に始めることだってできるかもしれません。
 ある「集まり」をつくるための共同作業自体が別の「集まり」になります。元の「集まり」よりも企画者たちの「集まり」は頻度も密度も高いのが普通なので、より頻繁な「連絡を取る」→「顔を合わせる」が実現しやすい。友情を育てるのにうってつけです。

 最後に参考文献を。
 この分野では(SST本ではありますが)鉄板の書、『友だち作りの科学―社会性に課題のある思春期・青年期のためのSSTガイドブック』を。私のブログ記事では次のものを「あなたの地位と人脈は《スモールトーク》が決めている/ダンバー『ことばの起源』応用篇」