人を動かすには「論理的な正しさ」も「情熱的な訴え」も必要ない。「認知バイアス」によって、私たちは気がつかないうちに、誰かに動かされている。人間が生得的に持っているこの心理的な傾向をビジネスや公共分野に活かそうとする動きはますます活発になっている。認知バイアスを利用した「行動経済学」について理解を深めることは、様々なリスクから自分の身を守るためにも、うまく相手を動かして目的を達成するためにも、非常に重要だ。本連載では、『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から私たちの生活を取り囲む様々な認知バイアスについて豊富な事例と科学的知見を紹介しながら、有益なアドバイスを提供する。
「お金がない」とき、人は近視眼的になる
お金がない人は、ときにおかしな行動をとる。
スクラッチくじや宝くじを買ったり、貯金をしなかったり、大きな借金をしたり。
残念ながら、それは習慣になり、結果としてさらにお金がなくなる。
とはいえ、「貧しい人がこうした選択をしてしまうのは、教育や社会環境のせいだけではなく、生まれ持った性格のせいだ」と容易に考えてはいけない。
それは大きな誤解だ。貧困とは誤った選択の結果ではなく、むしろ原因なのである。
多くの研究が、一時的な貧困が意思決定能力に影響を及ぼすことを明らかにしている。ただし、その影響も一時的なものだ。
貧しさは、「現状偏重バイアス」を引き寄せる精神状態をつくり出す。
このことは、収穫期が年2回(つまり収入も年に2回)のインドの農業従事者を対象にした数年前の実験がよく物語っている。
農業従事者のIQテストのスコアは、収穫直後と比べて、収穫期直前のほうがはるかに低かった。
収入を得た直後の人は、生活費のことで頭がいっぱいの人よりも賢明な判断を下せたということだ。
貧困は、被験者がテスト前に徹夜したときと同じくらいテスト結果に悪い影響を及ぼしていた(*)。
「私はインドの農業従事者ではない」と思った人もいるだろう。
しかし、思いがけずお金に困ると、誰でも近視眼的な反応をするものだ。
この心理状態は、お金と時間、どちらが不足しても引き起こされる。両者の影響が似ているためだ。
つまり、CEOが仕事の締め切りに追われるのは、貧しい人が支払いの締め切りに追われるのと同じように好ましくないことなのだ。
*学生へのアドバイス。親にこの話をしたら、試験前にお金を貸してくれるかもしれない。
(本記事は『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から一部を抜粋・改変したものです)