人を動かすには「論理的な正しさ」も「情熱的な訴え」も必要ない。「認知バイアス」によって、私たちは気がつかないうちに、誰かに動かされている。人間が生得的に持っているこの心理的な傾向をビジネスや公共分野に活かそうとする動きはますます活発になっている。認知バイアスを利用した「行動経済学」について理解を深めることは、様々なリスクから自分の身を守るためにも、うまく相手を動かして目的を達成するためにも、非常に重要だ。本連載では、『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から私たちの生活を取り囲む様々な認知バイアスについて豊富な事例と科学的知見を紹介しながら、有益なアドバイスを提供する。
「コーヒー代を払わなければいけない」職場は危ない
ボーナスの使い方を間違えると、労働者の健康を害し、業績を低下させることがある。
しかし、悪影響を生じさせている原因は他にもあった。それは、常にお金のことを考えなければならない銀行の職場環境そのものや、景気の動向などだった。
「これは銀行業界の問題で、私には関係ない」と思うかもしれないが、あなたも無関係ではない。
従業員に無料で飲み物が振る舞われず、コーヒー代を払わなければならない職場では、ペンやプリンター用紙が盗まれやすくなる。
詐欺や汚職、ハラスメントなどの倫理にもとる行為も起こりやすくなる。後述する最近の研究によれば、お金のことを考えるだけで、不正の大きなきっかけになる。
お金のことを考えるだけで、人は不道徳になる
あなたは、お金のために嘘をつくよう頼まれたら、どうするだろうか?
ある実験では、被験者はチャット画面を介して、別のプレイヤーとやりとりをした。
その際、「あなたより少ない金額しかもらえない」とそのプレイヤーに嘘をつけば、より高い報酬がもらえた。この場合、自分には5ユーロ、相手には2ユーロだ。嘘をつかなければ、自分が2ユーロで、相手は5ユーロになる。
あなたならどうするだろうか?
まず、被験者にお金のことを考えるように仕向けた場合を見てみよう。
たとえば、こんなたわいもない謎かけをする。「合計で15セントになる硬貨が2枚あります。1枚は1セント硬貨ではありません。もう1枚は何でしょうか」
このように、あらかじめお金のことを考えさせておいた場合、被験者が嘘をついて自分が5ユーロを得ようとする確率は、なんと2倍になった。
この実験は、本物のお金を使って何度も実施されている。
もちろん、すべてのプレイヤーの目的がお金であることは間違いないのだが、お金のことを考えると不道徳な行動が増えるというのは興味深い。
これは、お金について考えることで、競争心や権力欲、経済的自立心などが刺激されるためだと考えられている。
また、お金がビジネスライクな損得勘定を引き起こすこともわかっている。それによって、相手への共感が薄れてしまう。映画『ゴッドファーザー』でマイケル・コルレオーネが兄に言ったように、「個人的な感情はない。これはビジネスだ」といった気持ちになるのだ。
(本記事は『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から一部を抜粋・改変したものです)