人を動かすには「論理的な正しさ」も「情熱的な訴え」も必要ない。「認知バイアス」によって、私たちは気がつかないうちに、誰かに動かされている。人間が生得的に持っているこの心理的な傾向をビジネスや公共分野に活かそうとする動きはますます活発になっている。認知バイアスを利用した「行動経済学」について理解を深めることは、様々なリスクから自分の身を守るためにも、うまく相手を動かして目的を達成するためにも、非常に重要だ。本連載では、『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から私たちの生活を取り囲む様々な認知バイアスについて豊富な事例と科学的知見を紹介しながら、有益なアドバイスを提供する。
「時間がない」と、人は頭が悪くなる
締め切りのストレスとお金のストレスを比較するためには、人を意図的にストレス状態に置く必要がある。
行動科学の研究者は見事な創造性を発揮して、被験者を辛い状況に置く方法を思いつく。ある実験では、学生の被験者に「ハングマン」(紙と鉛筆を使う言葉当てゲーム)や「アングリーバード」(オンラインゲーム。プレイヤーがスリングショットやボムの攻撃で豚をやっつけるバージョンのもの)などの様々なゲームをさせた。
そのとき、一部の被験者は他の被験者よりもターン(順番)が回ってくる回数を少なくした。“豊かな”被験者は、“貧しい”被験者より5回も多くターンが回って来る。
実験の結果、ターンの回数が少ない“貧しい”状態が、プレイヤーの思考力に悪影響を生じさせることが示された。
貧しいプレイヤーは豊かなプレイヤーよりもずっと長い時間をかけ、狙いすましてから行動をしたため、ターゲットに命中させる確率は高かった。ここまでは悪くない。
だが、次のラウンドでターンを借りることができるようになると、貧しい被験者はたちまちそのリードを失った。
1ターン追加するには、次のラウンドから2ターンを借りなければならない。これは100%の利息に相当する。これほど高コストにもかかわらず、貧しい被験者は豊かな被験者の12倍ものターンを借り、結果的に相当な損失を出してしまったのだ。
これは貧しい被験者が目の前のラウンドに気を取られ過ぎて、先の見通しを失ったことが原因だと考えられている。
「目先の問題」にとらわれず、物事をじっくり考えるべき理由
では、ターンの回数を減らすのではなく、反応する時間を減らすとどうなるだろうか?
ある実験では、被験者に「5対5」というゲームをさせた。これは、「ピクニックに何を持って行くか」という質問に対する、一般的だと思われる回答を当てるというものだ。
その際、次のラウンドの質問を被験者の視線に入る位置に掲示した。考える時間がたっぷり与えられている“豊かな”被験者は、回答中に次の質問を見る余裕があったおかげで、全体的に成績が良かった。
一方、考える時間がわずかしか与えられていない“貧しい”被験者は、時間的プレッシャーにさらされているため、次の質問に目を向ける余裕がなかった。
考える時間を増やそうとして時間を借りるという手も使ったが、それでもパフォーマンスは低かった。時間不足は、経済的な貧困と同じように思考力を低下させるのだ。
私たちはお金が足りなくても、時間が足りなくても、重要度がそれほど高くはない目先の問題のことで頭がいっぱいになり、じっくりと物事を考える余裕を失ってしまう。
支払いや締め切りが原因でストレスを感じている人が、同じように間違った判断をしてしまうのもそのためだ。
(本記事は『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から一部を抜粋・改変したものです)