名取市閖上の犠牲を大きくした「鳴らない防災無線」<br />昨年末の余震でも再びサイレンが稼働せず県道129号閖上港線沿いには建物の土台ばかりが残る(2013年3月9日)
Photo by Yoriko Kato

 東日本大震災が発生した当時、5600人余りの人口のうち4000人ほどが在宅していたといわれる宮城県名取市閖上地区。同地区では800人近くもの犠牲者が出た。実に5分の1近くの犠牲者が出たのはなぜなのか。

 その最大の原因の1つは、あの日、市の全域で、大津波警報の発表や避難を知らせる「デジタル防災行政無線」が鳴らなかったことにあるという。

 震災の2日前に起きた2011年の3月9日の地震ときや、1960年のチリ地震津波のときには、防災行政無線は鳴っている。いったいなぜ、あの日には、作動しなかったのか。

震災から1年9ヵ月経っても
「防災サイレン」は鳴らなかった?

「実は、昨年(2012年)12月7日の余震のときも、津波警報が発令されたのに、サイレンが鳴らなかったんです」

 そう明かすのは、震災による津波で息子や両親を亡くした名取市閖上地区の遺族Aさんだ。

 12月7日の夕方、三陸沖を震源とするマグニチュード7.3(速報値)の余震が発生。Aさんは市役所のそばの携帯電話店にいて、店内にいたために津波警報の発表を知った。

「これは大変だ」

 そう思ったAさんは、車で市役所から10分ほどの仮設住宅に戻った。

「もし防災行政無線が鳴っていたら、そのまま仮設にいようと思っていました。しかし、津波警報が出ているのに何も鳴らないから、おかしいと思って市役所に行ったんです」

 すでに道路は車で渋滞していた。それでもAさんが市役所に駆けつけたのは、地震から30分も経っていない頃だという。

「防災行政無線のある3階へ行くと、市長がテレビと窓の外を腕組みしながら見ていたんです。“なんで防災無線を鳴らさないんだ!”“なぜ同じことを繰り返すのか?”って、市長に言ったら、“騒ぐな!”と叱られました。すると、市役所の職員が“どうしたの?”と聞いてきたから、“何も鳴らなかった”などと説明すると、“いま、修理してるから…”って言われたんですよ」

 もしその証言が事実だとしたら、防災上、あってはならない事態であり、震災の教訓は、再び生かされなかったことになる。