「ヒット作を生み出したい」とは、ビジネスパーソンなら誰もが夢見ることだ。日本中の人がその商品の名前を知っている「メガヒット」ならなおさらよい。「綾鷹」「檸檬堂」「からだすこやか茶W」「SK-Ⅱ」「ファブリーズ」「ジョイ」…これらの商品は、ほとんどの日本人が知っているメガヒット商品だ。これらの商品を大ヒットに導いたのは、P&Gジャパン、日本コカ・コーラを渡り歩いた伝説のマーケター・和佐高志氏である。彼の初の著書『メガヒットが連発する 殻を破る思考法』(ダイヤモンド社)から一部を抜粋・編集して、ヒット作を生み出すコツを学ぶ。

コカ・コーラ初のアルコール飲料「檸檬堂」はなぜ生まれたのか?Photo: Adobe Stock

本物へのこだわりが、「エッジ」を生み出す

 なぜ、私はレモンサワーで新ブランドを作ったのか。レモンサワーが王道で、もっともおいしいものだと私たちには思えたからです。酎ハイの原点であり、居酒屋のサワーとして昔からあるし、もとよりキリッとおいしい。アルコールとの相性もいい。

 ところが、いろいろなフレーバーがあるのに、レモンに特化したブランドがなかった。つまり、レモンに特化すると何ができるのかというと、レモンに特化しているという「エッジ」が立てられるのです。

 緑茶の「綾鷹」も、コーヒーの「ジョージア」も、ブランドを再生していくにあたっては、エッジが大きな意味を持ちました。

 やはり飲み物ですから、おいしいというのは絶対に譲れない。そこでいかにエッジを立てられるか、なのです。いかに本物のお茶に近いか、いかに本物のコーヒーに近いか。レモンサワーに絞り込めば、そんな本物ぶりを示すエッジを立てられると思いました。

 まず、私たちはレモンサワーの原点に立ち戻りました。お茶でもコーヒーでもそうでしたが、やはり歴史をしっかり理解することは大切です。

 レモンサワーは1960年代に生まれていました。焼酎を炭酸で割り、レモンで風味付けする。そう言えば私が子どもの頃、「キリンレモン」がよく飲まれていました。大人にも子どもにも、レモンは好印象だったのだと思います。

 そして2010年代に入ると、レモンサワーは進化していきます。単にカットレモンを少し入れたり、フレーバーを入れたりするのではなく、半分に切った生レモンを絞って入れる贅沢生レモンサワーなどが生まれます。

 さらに、プロジェクトが始まった当時、すでにレモンサワーの専門店というものが存在していました。東京はもちろん、京都、博多などにもあって、私自身すべてには行けませんでしたが、2人のマーケティングプロジェクトメンバーはすべてのお店に行ってくれました。

 どこも大人気で、ものすごくおいしいレモンサワーを出してくれる。しかも、レモンサワーにも、いろいろなものがある。皮のすり下ろしがあったり、あらかじめレモンと焼酎と水を混ぜておく前割り手法があったり。

 居酒屋で200円台、300円台の安いレモンサワーを飲むという選択肢もあります。一方で、居酒屋よりも高い500円、600円という値段でプレミアムなレモンサワーを飲みたい人たちもいた。レモンががっつり入っていたり、塩を入れてくれたり、前割りをやってくれていたり、はちみつを入れてくれたり。

 こうして、「専門店で出している味をそのまま缶に詰めたレモンサワー」というコンセプトが生まれていきます。「檸檬堂」は、酎ハイマーケットや競合を見るのではなく、世の中や消費者をきちんと見つめることで、生まれていったのです。

 レモンに特化したブランド。他にないレモンサワーが飲めるブランド。おいしいレモンサワーが飲めるブランド。

 あえて他のフレーバーは出さない。「こだわりのレモンサワー」だけのブランドだからです。どうせレモンサワーを飲むなら、レモンサワーに徹底的にこだわった「檸檬堂」を飲むほうがおいしそうだ。だって、専門店だから。

 こうしてレモンサワーに特化した、「こだわりレモンサワー」のプロジェクトは進んでいったのです。

コカ・コーラ初のアルコール飲料「檸檬堂」はなぜ生まれたのか?

和佐高志(わさたかし)1990年、同志社大学文学部新聞学科卒業後、P&Gジャパン・マーケティング本部入社。医薬品、紙製品のマーケティングに始まり、化粧品&スキンケア、洗濯関連カテゴリー等を担当。ブランドと人材育成の実績を重ね、ブランドマネジャーからマーケティングディレクターへ。2006年、紙製品、化粧品&スキンケア事業部担当のジェネラルマネジャーとして、P&Lの責任を持つ。2009年より、日本コカ・コーラのお茶カテゴリーマーケティング責任者。「太陽のマテ茶」や「からだすこやか茶W」などの新製品発売および「綾鷹」ブランドの立て直しなどによるお茶カテゴリーV字回復を実現。2013年、同社副社長に就任し、「ジョージア ヨーロピアン」「世界は誰かの仕事でできている。」キャンペーンなど複数の大型ブランドのビジネス拡大推進をリード。2019年にコカ・コーラ社世界初となるアルコールブランド「檸檬堂」の開発責任者として成功を収め、最高マーケティング責任者に就任。2020年、日経クロストレンドが選出する、マーケター・オブ・ザ・イヤー大賞受賞。2023年、同社を退社。株式会社Jukebox Dreams(ジュークボックスドリームズ)を設立、同社代表取締役CEO就任。