スーパーの売り場で買い物かごを持ちながら考え込む女性写真はイメージです Photo:PIXTA

1937年の日本では、戦争が始まる前から軍事費が膨張し、物価が急騰して庶民の暮らしを圧迫していた。それでも政府は「非常時」を掲げ、生活苦への対策より軍備を優先した。約90年前の新聞記事に刻まれた、戦争へ向かう社会の変化とは。※本稿は、戦史・紛争史研究家の山崎雅弘『戦争を甘く見る空気 1930年代と似た道を進む現代日本』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。

日中戦争の勃発前に
国民を襲った物価高

 のちにアジア太平洋戦争(1941年12月に始まった、アメリカやイギリスを敵とする戦争:当時の日本政府の呼称は「大東亜戦争」)へとエスカレートした日中戦争の始まりは、1937年7月7日深夜の「盧溝橋事件」でしたが、当時の日本国民はこの年の始まりから、物価高という生活上の大きな問題に直面していました。

 同年1月17日付の大阪朝日新聞朝刊11面には、「狂う値上げの大津浪」「洋服、毛糸、お醤油もパンも」「月給袋は涙か溜息か」「悲鳴はあがるS・O・S」などの見出しと共に、物価の高騰に直面する市民の暮らしぶりを報じる記事が出ていました。

 翌1月18日付の同紙朝刊1面は、物価高について次のように書いていました。

「昨年末頃から急騰の兆候をきざしていた物価趨勢は、年初以来商品市場の狂躁を先駆として、加速度的奔騰に躍進し始めた。(略)その基本的原因は、三十億円の厖大予算を枢軸とする准(準)戦時体制的財政経済政策に根ざしていることは、各方面の観測の一致しているところである。従って、それは永続的性質のものであり、しかも今後なおいよいよ上昇の趨勢をたどるべきことが予想されている」