「すべての科学研究は真実である」と考えるのは、あまりに無邪気だ――。
科学の「再現性の危機」をご存じだろうか。心理学、医学、経済学など幅広いジャンルで、過去の研究の再現に失敗する事例が多数報告されているのだ。
鉄壁の事実を報告したはずの「科学」が、一体なぜミスを犯すのか?
そんな科学の不正・怠慢・バイアス・誇張が生じるしくみを多数の実例とともに解説しているのが、話題の新刊『Science Fictions あなたが知らない科学の真実』だ。
単なる科学批判ではなく、「科学の原則に沿って軌道修正する」ことを提唱する本書。
今回は、私たちの生活に欠かせない「医療に関する再現性の危機」の実態についての本書の記述の一部を抜粋・編集して紹介する。

画期的なガン研究でも”再現できない実験”がある? その衝撃の実態とはPhoto: Adobe Stock

再現できない医学実験が約8割もあった?

科学のどこかで基準が緩むと、科学的な活動全体の評判が損なわれる危険がある。

再現性の欠如による直接的な影響に議論の余地がない分野、すなわち医学にも、この問題はある。

心理学で再現性の危機が起きたころ、アムジェンというバイオテクノロジー企業の科学者たちが、ガンの研究について一流の学術誌に掲載された53件の画期的な「前臨床」研究の再現を試みた。

※「前臨床研究」:医薬品開発の初期段階で、多くは試験管内でマウスやヒトの細胞を使っておこなわれる。

その結果、再現実験が成功したのはわずか6件、約11%だった。
バイエルの科学者がおこなった同様の再現実験も、成功率は約20%にとどまった。

ガン研究に生じた重大な疑問

このように前臨床研究の確実な基盤がないことは、抗ガン剤の臨床試験が期待はずれに終わることが多い理由の1つかもしれない。

ある推計によると、抗ガン剤のうち前臨床研究から人間への投与まで到達するのはわずか3・4%だという。

こうした事実を知って、ガン研究者は心理学者と同じように、自分たちの分野全体の状況に疑問を抱いた
2013年には前臨床ガン研究のうち重要な51件について、独立した研究室で再現するために組織的な共同プロジェクトが立ち上げられた。

対象となる研究には、特定の種類のバクテリアが大腸ガンの腫瘍の成長に関係しているのではないかという主張や、白血病に見られるいくつかの突然変異が特定の酵素の活性化に関係しているという主張もあった。

医学論文なのに「再現方法」が示されていない

しかし、実際に再現実験をおこなう前に問題が発生した。元となる論文のすべてで、「報告されている実験のすべて」について、再現する方法がわかるだけの情報が提供されていなかったのだ。
実験に使った細胞の密度や、測定や分析に関する要素など、研究の技術的な側面が記されていなかった。

再現実験が暗礁に乗り上げると、元の研究者と膨大なやり取りをすることになり、彼らは自分の研究の詳細を確認するために古い実験ノートを引っ張り出して、今は別の仕事をしている元共同研究者と連絡を取らなければならなかった。協力に乗り気ではない人もいた。

再現を試みた研究者は元の研究者の45%に対し、「ほとんど」または「まったく」役に立たなかったと評価した

元の研究者にしてみれば、再現する人々の能力が低いのではないか、再現に失敗すれば自分が研究費を得られなくなるのではないかと案じたのだろう。