友達や家族や恋人をカメラやスマホで撮るときに、相手がどんな表情をしていると「いい写真が撮れた」と思いますか。そりゃ「笑顔」でしょうと、思っていませんか。
写真家のワタナベアニ氏が物語形式で展開する異色の新刊『カメラは、撮る人を写しているんだ。』から、「いいポートレート」とは何かを考える一節を紹介します。「カズト」という初心者が、「ロバート」という写真家と喫茶店で話をしている場面です。(写真・構成/編集部・今野良介)

人を撮る写真は本当に「笑顔」がベストなのか

笑顔は「自然な表情」か

「仕事とプライベート、どちらでもいいんですけど、どんな写真が『いいポートレート』と言えるんでしょう」

「自分が写っていることかもしれないな」

「自分って、撮ってる僕の気持ちが写っているってことですか」

「そうだ。カメラのレンズがカズトのほうを向いているような」

「難しいこと言い始めた」

「カメラには前と後ろにレンズがついているんだ。モデルを撮っていても、撮った自分が同時に写っている写真は問答無用にいい写真だと思う。誰かの子どもの頃の写真を見るとき、撮っている親の存在をはっきり感じることがあるだろう。愛情というかさ」

「ソーシャルメディアでそう思うことがたくさんあります」

「だから私は人と会ったとき、『その人と会いましたよ』と言いたげに肩を組んで一緒に記念写真を撮ってソーシャルメディアに載せたりはしない。私がすべきなのは写真を残すことだから、プライベートな場所でも相手だけしか撮らない。私の存在はカメラの裏側のレンズからちゃんと写っていればそれでいいんだ。そこにいたとわかるんだから」

「なるほど」

「仕事ではないポートレートがいいのは、その人の人格以外は何も表現しなくていいところだ。それさえしておけば納得して合格点がもらえる『広告的トンチ作業』をしなくて済むから、個人的な写真は可能な限りシンプルに撮るようにしている」

「なんですか広告的トンチって」

「クライアントのイメージカラーの服や背景で撮るとか、そういうやつだ。商品である缶ビールを持ってニッコリするとか、どこかに説明や拠り所があると安心はできるんだけどね。たとえば、手すりのない階段って普段より慎重に歩くだろう。写真のディレクションにギミックを入れると一瞬は『ああ、なるほど、スゴいね』と言って面白がられるけど、二度は見てもらえないから目の滞留時間が短いんだ。広告は初速がすべてだからそれが正解だとわかっているけど、個人的なポートレートは、素直で飾り気がなく、ずっと眺めていたくなる写真のほうがいいと思う」

「自然な表情ってことかな」

「そこもまた言葉の定義が微妙なんだけど、自然な表情って人によって違うだろう。『自然な表情』を演じている風の不自然な表情になってしまうこともある。私が思う自然さはもしかしたら『カメラを向けられているという、ほんの少しの緊張感』が残っているものなのかもしれない」

「緊張感が残っているほうが自然だってことですか」

「そうかもしれない。ただ豪快に大笑いしているような表情が自然ってことじゃないんだよ。それって無神経と紙一重だからね。自然な表情とは家族が一番長く見ている顔、その人が隣でテレビを見ているような顔だと思っている」

「聞けば聞くほど、難しくなりますね」

(以上、書籍『カメラは、撮る人を写しているんだ。』より一部抜粋)