「院長室にSちゃん(編集部注/済生会病院のY院長)がいたら、ちょっと挨拶して、今日はそのまま帰るから」

 と病室を出たのは、それからどのくらい経ってからだったろう。実は私は、院長室で本当の病状について説明を受ける約束をしていたのだ。

「結婚記念日までは持たせてほしい」
しかし、余命は待ってくれない

 院長室には、さきほどのP博士と慶子の主治医になるH副院長(診療部長)、それにY院長が待ち受けていた。MRIとCTの画像、それにX線写真が、机の上に積み上げられていた。

「どの写真でお話しましょうかね……」

 と、P医師が専門医らしくいった。

「これが一番わかり易いと思うのですが、このように肺に11箇所、脳に7箇所、腫瘍であることを示す病変がはっきり認められます。恐らく原発は肺で、呼吸機能を伝わって脳に転移したものと思われます。今のところ一番顕著なのがさきほど奥様と御一緒に見ていただいた延髄の上の病変ですが、こちらを見ますと大脳にも2箇所ほど小さな病変があります。……」

「まあ、末期(ターミナル)というほかないな……」

 Y院長が、呻くようにいった。

「……ここまで来てしまうとね。P君、今後の見通しについては、どうですか?」

「早くて3ヶ月、遅く見て半年、というところでしょうか」

「3ヶ月、といえば、5月じゃありませんか」

と、私ははじめて言葉を発した。

「……5月13日は、私どもの結婚記念日なんです。それまで保ちませんか?」

 Y院長も、P医師も押し黙っていた。H主治医がいった。

「もう少し早く発見していれば、この延髄の上の病変をガンマ・メスを使って取り除くという方法も考えられたのですが、何分ここまで来てしまうと時期が遅すぎます」

「逆にいえば、部位が呼吸中枢のすぐ上なので、サドン・デスの可能性も考えられます」

 と、P医師が口を挟んだ。

 突然の死(サドン・デス)……救急車で運ばれて行く道すがら、絶命する家内の姿が脳裡に浮んだ。

「早くて5月、遅くても8月か……」

 私は誰にいうともなく、つぶやいた。

「告知は、どうされますか?」

 と、Y院長が質した。

「余命は告知しない」
夫がついた優しい嘘

「告知は、いたしません」

 私は言下に答えた。その瞬間に、重苦しい沈黙が医師たちのあいだに流れた。

「……私には到底できませんので、告知はしないことにいたします。一万分の一でも治癒の可能性があれば、告知する意味もあるでしょうが、ガンマ・メスも使えない、すべて手遅れということになると、告知はそのまま死の宣告になります。それは家族として、……夫として、私にはできません」