101歳、現役の化粧品販売員として活躍している堀野智子(トモコ)さん。累計売上高は約1億3000万円で、「最高齢のビューティーアドバイザー」としてギネス世界記録に認定されたキャリア61年のトモコさんが、年をとるほど働くのが楽しくなる50の知恵を初公開した話題の書『101歳、現役の化粧品販売員 トモコさんの一生楽しく働く教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものをお送りする。佐藤優氏(作家・元外務省主任分析官)が「堀野氏の技法は、ヒュミント(人間による情報収集活動)にも応用できる」と絶賛(日刊ゲンダイ・週末オススメ本ミシュラン)する世界一の先輩による“人生訓”は、アナタの疲れた心を元気にしてくれる!

101歳、世界最高齢の現役営業が教える! 持ち前の「鈍感力」Photo: Adobe Stock

夫との馴れ初め

終戦を迎えて、学生時代の主人が行く先に迷っているとき、立ち上がったのが主人の叔父にあたる私の父です。

父は甥である主人をかわいがっていたらしく、窮状を見かねて就職の世話をしてやりたいと思ったのでしょう。私の父が岩手まで主人と話をしに行き、「福島なら就職先があるかもしれないから」と私の家に連れてきました。

つまり主人と私が、いわゆる「お年ごろ」だったときに、血のつながったはとこ同士としてひとつ屋根の下で暮らすようになったのです。

「ねえちゃん」と呼ぶ夫

家族の間での私の呼び名は「ねえちゃん」だったので、当然のように主人も私のことを「ねえちゃん」と呼ぶようになりました。

幼いころから知っている同士なので、特に異性として見たことはありませんし、まさかのちに結婚するようになるとは思ってもいませんでした。

そもそも愛だの恋だのということに、あまり興味もなかったんです。

持ち前の「鈍感力」を発揮?

ただ、主人はしばしば私の仕事終わりに、電話局まで迎えに来てくれていました。

同僚には「ほら、また(彼が)来てるよ」なんて冷やかされたものです。主人のほうは、案外早い時期から私のことを異性として意識していたのかもしれませんね。

私は持ち前の「鈍感力」でもって、何も感じてはいませんでしたが……。

自分の弱点を補う存在

主人は苦労知らずのお坊ちゃまが大人になり、そのスタイルを崩さざるを得ないような苦労も経験せず、幸せなうちに一生を終える、そんな人生を送りました。

思うに、本人は自分の“お坊ちゃま気質”をよくわかっていたのでしょう。そして、そんな自分の弱点を補ってくれるような、姉のような母のような女性を無意識のうちに求めていたのかもしれません。

そんな若い男が、私が自分で言うのもおかしな話ですが、誰からも「しっかり者」「あなたといると安心する」と言われる私とひとつ屋根の下で暮らすようになったのです。

仕事と内職と家事で
三足のわらじ

電話局の仕事と仕立て物の内職と、二足のわらじを履くだけでなく、母が亡くなってからは一家の「母親」としての役割を果たす様子を見て、「こいつといれば安心できそうだ」くらいは思ったのではないでしょうか。

式らしい式も挙げず、身内で簡単な会食という形ばかりのお祝いをしてもらい、仕事もやめ、慌ただしく主人の赴任地となった岩手県に引っ越して、新婚生活が始まりました。

※本稿は、『101歳、現役の化粧品販売員 トモコさんの一生楽しく働く教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。