101歳、現役の化粧品販売員として活躍している堀野智子(トモコ)さん。累計売上高は約1億3000万円で、「最高齢のビューティーアドバイザー」としてギネス世界記録に認定されたキャリア61年のトモコさんが、年をとるほど働くのが楽しくなる50の知恵を初公開した話題の書『101歳、現役の化粧品販売員 トモコさんの一生楽しく働く教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものをお送りする。佐藤優氏(作家・元外務省主任分析官)が「堀野氏の技法は、ヒュミント(人間による情報収集活動)にも応用できる」と絶賛(日刊ゲンダイ・週末オススメ本ミシュラン)する世界一の先輩による“人生訓”は、アナタの疲れた心を元気にしてくれる!

101歳、世界最高齢の現役営業が教える! 私が「リュックサック」が嫌いなワケPhoto: Adobe Stock

戦後の食糧難のころ

主人は昼間、税務署へ仕事に行っていたので、食料の調達は私がするしかありませんでした。

幸い近隣には農家が多く、人手を求めていたので、畑仕事のお手伝いをして食べ物を分けてもらったり、多少の謝礼をいただいたりしました。

田植え仕事などもずいぶんやりました。蛭に足を食われて、閉口したものです。やがて手でグッと押さえ込んで、蛭を引き離すコツを覚えたときは、「これで大丈夫!」と安心しました。

売れるものはなんでも売った

売れるものは、なんでも売りました。嫁入りのときに持たせてもらった着物も売ったし、大切に持っていたお琴の糸を農家の娘さんに譲ったこともあります。

本当にあのころのことを思い出すと、いったいどうやって日々食べていたのかと不思議なくらいです。

当時を知っている人たちは、きっと私と同じように感じていると思いますよ。

リュックサックが嫌いなワケ

なんとか今日1日、少しでも食べて命をつなごうと思ったら、時間のある人が買い出しに行くしかありません。

毎日毎日リュックサックを背負って、長い時間歩いて買い出しに行きました。リュックは、私にとってつらい戦後の生活の象徴のようなものです。

よく「高齢者には両手が自由になるリュックがいい」などといわれますが、私は使いたくありません。戦後の買い出しを思い出すからです。

身をもって思い知らされたこと

仕事でつらいと思ったことは一度もないのですが、あの買い出しは懲り懲りです。あのころに比べれば、今は本当にいい時代です。お金さえ出せば食べ物が手に入るのですから。

今、円安が進んでいるのと、諸外国に比べて収入の伸びが悪いのとで、「日本は国力が落ちた」とか「日本はもうダメだ」とか言われています。

でも、戦中・戦後を知っている私からすれば、今の日本は天国ですよ、本当に。だって、「食うに困る」ということもなければ、爆弾がいつ落ちてくるかとハラハラすることもありませんから。

生きることは食べること。あの時代、私はそのことを、身をもって思い知らされたんです。

私にとって何よりも
うれしかったこと

福島の父には、よく手紙を書きました。心配をかけたくないと思いつつも、ついつい食べ物が手に入らないことを書いてしまっていたのでしょう。

岩手よりも福島のほうが早く復興し、食料事情もよくなっていたこと、さらに地方公務員の募集も始まっていたことから、主人は福島県の職員採用試験を受けることにしました。

幸い合格をいただくことができたので、福島県庁に入庁するため、1年間の岩手県での生活を終え、福島に戻ることになりました。生まれてからずっと住んでいたなじみのある場所に戻れるのは、私にとって何よりもうれしいことでした。

※本稿は、『101歳、現役の化粧品販売員 トモコさんの一生楽しく働く教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。