「反省除去」~自分を観察し過ぎない
「眠れない、眠れない」と悶々としている時、その人は自分に意識が向き過ぎています。自分を過度に観察し省みている「自己への過剰志向」が存在しているのです。「逆説志向」が効果を発揮するのは、ユーモアを交えて自分の状況を「笑い飛ばす」ことで、過剰志向をゆるめる効果が期待できるからです。
人間の心には、囚われた自己から離れていく「自己離脱」の能力が備わっているのです。それ故に、自己への過剰志向を抑制することができます。
そこで「逆説志向」とリンクする手法に「反省除去」があります。「反省除去」では、過度に自分を省みることをやめるように勧めます。「自分のことを考え過ぎてはいけません」と。これを「脱反省」ともいいます
フランクルは音楽家や画家の例をあげます。音楽家は素晴らしい演奏をしようとして、画家は芸術的な作品を創ろうとして、つまり、過剰に芸術性を志向したがためにむしろ、創造性を見失ってしまったのです。それはスランプ状態ともいえます。そこでフランクルは「反省除去」の考え方を伝えることで、二人を創造性の苦しみから救いました。
フランクルはこう書いています。
「過度の自己観察、──まるでひとりでに行なわれるかのように無意識の深みの底でなされねばならぬはずの仕事を意識して「行なおう」とする意志、──それが創造的な芸術家にとって一種のハンディキャップになることは稀ではない。そこでは不必要な反省はすべて有害なものでしかありえないのである」※4
この「反省除去」を適応するような場面の根幹には「自己執着」があります。「自己執着」という否定的な状況を「自己離脱」の力を使って肯定的な状況に転換させていくのが「反省除去」です。
この手法はフランクルが強調する「自己超越」へとつながっていきます。
「自己超越」とは、自己を越えていくことです。自分を志向するのではなく、自分を越えた存在を志向し、それらに自分を忘れて没頭することです。
芸術家は芸術作品へ、教師は授業の時間へ、ビジネスマンは自分の仕事へ「自己を引き渡すことによって、そしてそれだけの価値ある事物へ自己をゆだねることによって」、人は不安から解放されクリエイティブになれるのです。
拙著『君が生きる意味』では、苦悩する青年にフランクル心理学を説く「小さいおじさん」が繰り返し、自分にとらわれる「ボクの境地」を越えてゆけと諭します。それは、フランクル心理学の本稿に述べた「逆説志向」「反省除去」「自己超越」の考え方をベースにしています。
自分を省みる適度な反省はもちろん必要ですが、自分のことばかり考える「過度の自己観察」は、時に人生のつまずき石となります。自分に囚われることなく「あるがまま」で、自己を越えた世界へより意識を向けていきましょう。
◇引用文献
※1-3『意味による癒し ロゴセラピー入門』(V・E・フランクル[著]、山田邦男[訳] 春秋社)
※4『神経症1』(V・E・フランクル[著]、宮本忠雄 小田晋[訳] みすず書房)
※5『識られざる神』(V・E・フランクル[著]、佐野利勝 木村敏[訳] みすず書房)