「どんな時にも人生には意味がある。未来で待っている人や何かがあり、そのために今すべきことが必ずある」ーー。ヴィクトール・E・フランクルは、フロイト、ユング、アドラーに次ぐ「第4の巨頭」と言われる偉人です。ナチスの強制収容所を生き延びた心理学者であり、その時の体験を記した『夜と霧』は、世界的ベストセラーになっています。冒頭の言葉に象徴されるフランクルの教えは、辛い状況に陥り苦悩する人々を今なお救い続けています。多くの人に生きる意味や勇気を与え、「心を強くしてくれる力」がフランクルの教えにはあります。このたび、ダイヤモンド社から『君が生きる意味』を上梓した心理カウンセラーの松山 淳さんが、「逆境の心理学」とも呼ばれるフランクル心理学の真髄について、全12回にわたって解説いたします。

人生から何を与えてもらうかではなく、人生に何を与えることができるか

人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、
日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである

『夜と霧』(V・E・フランクル[著]、霜山徳爾[訳] みすず書房)

人生観のコペルニクス的転換

 ひとつの会社に勤め続け、そこそこの成果をあげて中間管理職になった。それから歳月が流れた。まだまだ定年を考える年齢ではない。働き盛りである。だが、ポストには限りがあり、それ以上の役職は望めない現実を理解し始める。キャリアの限界をふつふつと実感した夜、「俺の会社人生もここまでか」と、自分の力ではどうにもならない現実を前にして虚しさがこみ上げてくる。 

「ならば、もっとやりがいのある仕事を求めて、転職か」と考えてみるものの、家族を抱え家のローンを抱え、年収が半分になるような転職リスクを冒す勇気はない。

「自分にはもっと他の人生があったのではないか」
「このまま働き続けて意味があるのか」

 そう胸の内で呟きため息がこぼれる。

 自分の「人生から期待できること」が少なくなっていく感覚は、空虚感を人にもたらします。働き盛りなのに働くことに張り合いが無くなり、献身的に仕事に取り組もうとするモチベーションの質が悪化していきます。

 そう考えると、全ての社員に望むキャリアを提供できない会社というシステムは、あるレベルまでは上昇志向を歓迎しつつ、ある一定の段階に来ると、上昇志向を否定する暗黙の要請がなされる場だといえます。

 だとすれば、企業はミドルの空虚感を量産し続ける工場のようなものです。

 よって、こうした虚しさに囚われてしまった時に、「私は人生に何を期待できるか」と問い続けることは、虚しさの量産活動を加速させていくことになります。

 そこで、「実存的空虚」と呼ばれる人生の虚しさと向き合い続けたフランクルは、こんな考え方で私たちを励ましてくれます。

「ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ何を期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである」※1

 ここに人生観のコペルニクス的転回があります。

 人生から期待できることを問うのではなく、人生が期待していることを問うのです。

 自分を中心にして人生を眺めるのではなく、人生を中心にして自分を眺めるのです。つまり、人生から何を与えてもらうかではなく、人生に何を与えることができるか、です。