無意識のレベルで、他人をあざむくための受験生に擬態しているうちに、全力で自分自身までもあざむくようになり、自己催眠をかけ、本心に封印をかけ、だらだらと勉強をする、ふりをして、いつまでも不合格、単位を取らない学生、休学の魔術師、ベテラン受験生として、焦燥感は増していき、苦しみで顔はひん曲がっていく、そんなドツボ(土壷)をこねる陶芸家になってはいけません。
くまのプーさんになったつもりで、ハチミツでもなめて一日中過ごしたらいい。のんびりと、思い切ってなんにもせずに過ごしたらいい。プーさんになろう。そのように決意してハッと気づくのです、ハチミツこそなめていないけれども……、すでにもうプーさんでしたと。
自由な時間を手に入れるのに
実はなんの努力もいらない!?
すべての悩みは捏造された架空のものだった、葛藤の苦しみは、虚言癖が生み出す茶番劇にすぎなかった。我々には学歴も資格もいらんのです。なぜなら、すでに持っているからです、自由な時間を。
みんな自由な時間をたくさん手に入れようと、受験で学歴を得たり、資格を取ったりする。つまりはたくさん稼いで、それでようやく自由な時間が手に入ると思い込んでいるのです。が、そうではありません。
自由な時間は、いきなり、なんの努力もなしに、返済不要で、命ある限り、いくらでも手に入るのです。ひきこもりさえすれば手に入るのです。あまりにも怖ろしい真実なので、自由な時間を手に入れた、私やあなたも、まさかこんな奇跡が、救い主様の力も借りずに手に入るなんて思いもしなかったのでしょう。
狼狽し、申し訳ない気持ちになり、神様のご加護を独占してはいけないと、自分自身を責める、ふりをする、勉強をする、ふりをする、働きたい、ふりなどをして、苦悩を演出し、甘えちゃいけない、汗水流して働きたいなどと虚言を吐いて、まあひとことで言えば、茶番劇を日々繰り返して、それでいて、なにもしない、それでいて、なにかをするという、無限の自由な時間を手放さずに暮らしておるわけです。
こんな手の込んだ芝居をする必要はないのです、正々堂々と先延ばしすればそれでいい。居直っているんじゃない、クサい芝居をもうやめよう、ということなのですよ。