プーさんPhoto:CatLane/gettyimages

ひきこもりの中には「何かしなければいけない」という理由で、通信制学校の授業を受けたり、難しい資格の勉強をしたりする人たちがたくさんいる。しかし、本当にそんな“クサい芝居”が必要なのだろうか?本来、人間とは誰に気兼ねすることなく自由な時間を謳歌する資格を持っているのだ――。本稿は、勝山 実『自立からの卒業』(現代書館)の一部を抜粋・編集したものです。

一生働きたくないから
一生勉強する人たち

 ひきこもりであるのならば、「働かなきゃいけない、でも働きたくない」、その葛藤に苦しんだあげく、どういうわけか勉強をしてしまった、という経験があることでしょう。

 私も恥ずかしながら、3年も大学受験をしてしまいました。通信制大学に入学したこともあるんですよ。勉強って、働かない言い訳を得るための絶好のアイテムなのです。なにか価値がありそうだし、将来役に立ちそうな気もします。

 だから通信制大学を中心に、ひきこもりは学校へ行くのです。2回、3回とループ入学をする人もいます。大学院にまで行ってしまうケースだってあるのです。

 また資格の勉強というのも、似たような定番の逃げ道でして、なるべく取得まで時間のかかる、社会的地位の高いものに人気が集まります。司法試験とか、税理士とか。長々と浪人して、勉強して、どんどん社会の中心でないどこかへと遠ざかっていくのです。

 働きながらなら、いくら資格や学歴を取ったってかまいません。でもひきこもって無職であるならば、なにかを得るための勉強というのは禁断の麻薬だと思ってもらいたい、ダメ、ゼッタイ。私もあなたも勉強したいんじゃないんです、働くまでの時間稼ぎがしたいだけなのです。