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評価されなくても病床で書き続けた貧乏作家が、橋の上で叫んだ言葉とは?イラスト:塩井浩平

評価されなくても
病床で書き続けた貧乏作家

梶井基次郎(かじい・もとじろう 1901~1932年)
大阪生まれ。東京帝国大学英文科除籍。代表作は『檸檬』『桜の樹の下には』など。幼少期から病弱で、10代後半で肺結核の初期症状との診断を受ける。電気エンジニア志望で第三高等学校理科(現・京都大学総合人間学部および岡山大学医学部)に入るが、友人たちや病気の影響で、文学に目覚めていく。作家を志して東京帝国大学英文科に進学するも、病気のため授業に出られない日も続き、授業料が払えず除籍に。文学仲間と同人誌『青空』を発刊し、短編小説を次々と発表。病床で書き続けたが、初めて原稿料を得たのは、亡くなる直前だった。没後に評価が高まり、名声を得た稀有な作家である。昭和7(1932)年、肺結核が悪化し31歳で亡くなる。

「桜の樹の下には屍体が埋まっている」という都市伝説

「桜の樹の下には屍体が埋まっている」という都市伝説を聞いたことがあるでしょうか? そのネタ元は、梶井基次郎の短編小説『桜の樹の下には』なのです。なにせ、「桜の樹の下には屍体が埋まっている」という物騒な話題から物語が始まるのですから。

「これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ」――『桜の樹の下には』(『檸檬』新潮文庫に収録)

たった3ページの短編が生んだ強烈なインパクト

美しい桜の花が咲き乱れる様子を見て、主人公はその下に屍体が埋まっていると想像します。この短編は1800字にも満たない、文庫版でわずか3ページ程度の非常に短い作品ですが、インパクトは強烈です。

昭和2(1927)年、26歳の梶井が書いた作品ですが、彼は19歳のときに胸膜炎(肋膜炎)を発症し、肺結核の初期症状ともいえる「肺尖カタル」に苦しみました。そして31歳で亡くなるまで、彼の人生は結核との闘いでした。

この作品は、そんな梶井が静岡・伊豆で療養していたころに書かれたものだったのです。

「肺病にならんとええ文学はでけへんぞ!」三条大橋での叫び

20歳になるころには、肺結核の症状が出ていた梶井ですが、一方で「肺病になりたい」と叫んでいたという逸話もあります。

第三高等学校(現・京都大学総合人間学部)に通っていた梶井は、酒を飲んで酔っ払った勢いで、京都の三条大橋の上で胸を叩きながらこう叫んだのです。

「肺病になりたい。肺病にならんとええ文学はでけへんぞ!」

結核を“文学的アイコン”として捉えた梶井基次郎

梶井は自分が肺結核であることを自覚していましたが、同時にこの病を“神話化”させていた節があります。フランスの作家たちが結核による痩せ細った姿を「繊細で芸術的」と捉えた影響を受け、梶井もまた結核を文学的なステータスと見なしていたのです。

このような病と文学の結びつきは、日本の病気の歴史にとっても興味深いテーマといえます。

たとえば、正岡子規は明治35年(1902年)、35歳で肺結核から脊椎カリエスを発症し、背中や腹部に穴が開いて膿があふれ、痛みに苦しみながら亡くなりました。しかし、子規の時代、結核はただの悲惨な病であり、文学とは結びついていませんでした。

ところが、昭和7(1932)年、梶井が肺結核で31歳の若さで亡くなるころには、結核と文学の関係が変化し始めていたのです。梶井のように、結核を一種の“文学的アイコン”としてとらえる作家が現れました。

もっとも、「肺病にならんとええ文学はでけへん」という梶井の叫びは、病気の怖さを吹き飛ばすため、あるいは自分を奮い立たせるための言葉だったのかもしれませんが……。

※本稿は、ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。