それが今の若者にはある。だから、いつまでも何も変わらず、閉塞感しかないこの日本のなかで「どうすれば生き残れるか」を合理的につきつめた結果、「子どもを持たない」という結論になったのである。

 もちろん、昔の若者も薄々勘付いていたが、周囲の大人がよってたかって「ま、いろいろあるけれど仕事が終わって子どもの寝顔を見ると明日も頑張ろうってなるよ」とか「人間が子孫を残さないで生きている意味があるのか?」なんて説得にかかって結婚や出産へと「誘導」した。

 しかし、今の若者たちはそういう精神主義や同調圧力にも流されない。だから、「子どもを育てたくない」と自分の意志を主張できる者が52%もいるのだ。

「そうやって自分さえ良ければいいという若者が多いから今の日本はダメなのだ。子どもを持って、親になることで誰かのために生きる強さを身につけるんだろ」と憤る人もいらっしゃるだろうが、実は日本の庶民の間で「子どもを持つ」ことに対してそういう精神論が広まったのは戦後になってからだ。たかだか80年くらいの「新しい常識」にすぎない。

 では、それまでの日本人は何のために子どもを持ったのかというと、シンプルに「自分のため」、あるいは「国のため」という「実利」である。

 子どもは「労働力」と「社会保障」の役割を担っていたので、多くいればいるほど生存競争に有利だった。特に、貧しい家庭にとって、子どもをたくさんいるか否かは死活問題だった。

 それがよくわかるのが、「貧乏子沢山」という現象だ。戦前くらいまで日本人は子どもは4人、5人くらいいるのが当たり前で、農家などは7人くらいというところも珍しくなかった。なぜかというと「農家ほど子ども好きが多かったから」なんて話ではない。「父や母が倒れたとき、亡くなったときの代替の労働者・介護者が必要だった」からだ。

 男の子だったら、農作業や商売の手伝いをさせた。女の子も一家の経済を支えるために奉公に出したり、有力者に嫁がせたりした。非常に悲しい事実だが、1930年代の昭和恐慌などでは娘を女衒(女性を遊郭など、売春労働に斡旋する仲介業者)に「身売り」する農家が多く報告されている。

 令和の感覚ではこれらは「児童の人権侵害」「人身売買」だろう。しかし、この過酷な時代を生き抜く日本人にとって、「親のために子どもが犠牲になること」は常識だった。

 このあたりは、かつて社会現象にもなった人気アニメ「鬼滅の刃」がわかりやすい。