読者の中には「夫が定期購読者で家にあるので、自分も読んでいる」という女性もいたが、「そもそも花田編集長の雑誌には女性読者が多い」のも理由の1つだった。

 どこかの時点で花田編集長の作る雑誌のファンになった読者が、編集長が赴く先々の雑誌へついていくという、まるで劉備と荊州の民のような事態が起きており、中でも女性の割合が多かったという。

 聞けば『週刊文春』時代(編集部注/花田は、1988年から同誌編集長を務め100万部を達成した)も女性読者が多かったと聞くし、朝日新聞社所属時代に『uno!』という女性誌の編集長をつとめてもいたので、『WiLL』や『Hanada』にも、右寄り一辺倒に見える編集方針の中に、実は女性読者の感性と合う部分があったのだろう。

 一時期は副編集長を女性(瀬尾友子氏・現在は産経新聞出版編集長)がつとめてもいた。

 世界の半分は女性なのだから、女性読者を最初から無視・拒絶して雑誌を作る必要はない。それは週刊誌でもそうなら、オピニオン誌や論壇誌でも変わらない。

編集部に電話が殺到!
女性読者の心に火をつけた「雅子妃特集」

 最も「女性読者」の存在が可視化されたのは、『WiLL』のいわゆる「雅子妃問題」特集だった。きっかけは『WiLL』2008年5月号に掲載された保守の重鎮、西尾幹二(編集部注/1935年~2024年 ドイツ文学者、評論家。ニーチェの研究で知られる)氏の〈皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます〉だ。

 当時、皇太子妃である雅子妃は適応障害を発症され、様々な儀式や皇室行事を控えられていた。皇室に入られてこれまでとは生活が一変するだけでなく、お世継ぎとしての男子誕生を待望する国民からの期待がプレッシャーとなり、思うような皇室外交にも取り組めないことが影響してか、雅子妃は2003年から長期の療養に入られていた。2004年には皇太子殿下が会見で「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」とご発言され、大きな波紋を呼んだ。

 それから4年余り経っての西尾氏の論文は、「雅子妃の休養は療養にしても長すぎる」とし、「皇太子殿下は皇室としてのありようを守ることよりも、マイホームとしての家族を守ることを優先している」「そうした姿勢は、いずれ天皇になられる皇太子としていかがなものだろうか」と問いかけるものであった。

 皇太子殿下の姿勢を問うものではあったのだが、その核心は雅子妃殿下の体調不良によるところにあったため、「雅子妃問題」と呼ばれることになったわけである。