「いつも浅い話ばかりで、深い会話ができない」「踏み込んだ質問は避けて、当たり障りのない話ばかりしてしまう」上司や部下・同僚、取引先・お客さん、家族・友人との人間関係がうまくいかず「このままでいいのか」と自信を失ったとき、どうすればいいのでしょうか?
世界16カ国で続々刊行され、累計26万部を超えるベストセラーとなった『QUEST「質問」の哲学――「究極の知性」と「勇敢な思考」をもたらす』から「人生が変わるコミュニケーションの技術と考え方」を本記事で紹介します。

ちょっとした言葉選びに本音がでている
私は以前、「日常生活における哲学」という講座の講師を務めた。
参加者には、学びたいことを質問形式で書いてもらった。
「どうすればもっと物事を系統立てて考えられるようになりますか?」「どうすれば深い会話ができるようになりますか?」といった答えが挙がった。
ある参加者が書いた質問に、「集中力はどこで見つけられますか?」というものがあった。
ちょっとしたニュアンスの違いや、単なる書き間違いのように思えるかもしれないが、集中力を見つけるのに、「どうすれば」ではなく、「どこで」と書いたところに、この人についての興味深い何かが示されているように感じられた。
それはこの人が、集中力を自分の内側にあるものではなく、外側で見つけるものだと考えているからなのかもしれない。
こうした言葉の無意識な選択から生じる微妙な違いは、細かく見てみると興味深い。
ちょっとした言葉の選び方一つに、自分の本音が表れることがある。
例えば、「でも」と「それで」という語を見てみよう。
「エミリーとこの件について話したの?」という質問は、「でも、エミリーとこの件について話したの?」と「それで、エミリーとこの件について話したの?」とでは、大きく異なるものになる。
否定的な表現でも同じだ。
先の質問を、「エミリーとこの件についてまだ話してないの?」と言うと、とっくの昔にエミリーと話しておくべきだったというニュアンスが相手に伝わる。
否定的な構文を使ったり、「でも」や「それで」などの語を無意識的に使ったりすることで、私たちは気づかないうちに相手に手の内を明かしている。
相手がそれにどれくらい反応するかにかかわらず、結果としてその質問は見かけよりもはるかにオープンではなくなることが多い。
(本記事は『QUEST「質問」の哲学――「究極の知性」と「勇敢な思考」をもたらす』の一部を抜粋・編集したものです)