渋田:そうなんです。「コスパよく、タイパよく」という価値観が大勢を占めているせいで、泥臭い努力がよくないという価値観が広まっているようにも感じます。子どもに努力させることがパワハラのように言われることもありますが、たとえば、ゲームの時間を少し減らして勉強させることは決して悪いことではありません。

 私は学生時代にバスケットボールをやっていましたが、「負けてもいいや」と諦めたら、漫画のセリフではありませんが、「そこで終了」です。あくまで、ボールにくらいついていって、味方のボールにする努力を重ねることが、結局は勝負を分けるんです。

 その根底には出る杭を打つ日本の文化的な特徴がある。難関校受験指導で目立つ塾や大学進学実績が伸びてきた学校について、「詰め込み主義、結果至上主義で子どもたちが可哀想だ」という外部の意見が出ることがありますが、的外れのことが多いと思います。

 本当に「可哀想なことだけ」をやらせていたのでは、子どもたちはついてきません。子どもを誤魔化すのが、一番難しいからです。

深海魚問題の深層
成績不振は「ぎりぎりでの合格」のせいではない

富永:その関連で言うと、中学受験で難関私立中高一貫校に合格したものの、中学入学後に成績が低迷し、学年最下層に沈んでしまう生徒を指す「深海魚」という言葉がありますね。

渋田:いわゆる「鶏口牛後論」ですね。私は本人の行きたい学校に行かせるので良いと思います。余裕のある学校に入学した子どもが、「やっぱり第一志望に行っておけば良かった」というケースは表に出ないだけで、必ず一定数はいらっしゃるわけです。そうならないためにも、むしろ、覚悟を決めて「決めた学校で頑張る」という「置かれた場所で咲きなさい論」を選ぶ方が良いと個人的には思います。

 そもそも、御三家など伝統校は、入試問題を本当にしっかり作っていて、その問題に「惚れて」その学校に行きたくなる生徒だっている。解くのが楽しい、こういう素晴らしい問題をつくる教員の指導を受けたいと思って頑張って入った。その時点で否定的な意味での“深海魚”なんかではないんですよ。

 別に中1の成績がビリだったって、大学受験のときまでに取り戻せばいいわけですし。成績が振るわないのは、実力が見合っていないからではなく、入学後の友達関係、体調、部活の忙しさ、保護者との関係のせいなどが原因であることがほとんどではないでしょうか。

富永:その学校に入れたのは、入るだけの実力があったからにほかならない。「深海魚になってはいけない」ということばかり言われていて、それこそ多様性の否定だなと思います。

「深海魚」=「悪」ではなく、難関校に入って、深海魚としての充実した過ごし方をする、ということだってあるわけですよね。「深海魚」をなめるなと言いたいですね。

【第5回は、子どもの頑張りを認めることを重視する風潮の中で、保護者の間で増えている「塾内での順位を知らせないでほしいという考え」への向き合い方についてお届けします。】

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