ヴィヴェック・ラマスワミ(Vivek Ramaswamy)は、インド系アメリカ人2世として1985年にオハイオ州シンシナティで生まれた。両親はともにバラモンの出身で、エンジニアの父はゼネラル・エレクトリックで働き、母は老年精神科医として介護施設で勤務していた。子どもの頃から成績優秀だったラマスワミはハーバード大学で生物学を専攻、最優秀で卒業したのち、イェール大学のロースクールで法務博士を取得した。――イェール時代に、アメリカ副大統領となったJ.D.ヴァンスと友人になった。
在学中からベンチャー企業を立ち上げたラマスワミは、大学院卒業後の2014年にバイオテクノロジー企業を設立、わずか3年で2億ドル(約300億円)ちかい売却益を得た。その後はビジネスから政治に関心を移し、リベラルの暴走を批判する“Woke, Inc.; Inside Corporate America's Social Justice Scam(ウォーク株式会社 アメリカ産業界における社会正義詐欺の内幕)”を2021年に出版して注目を集めた。
ラマスワミは2024年大統領選の候補者争いに共和党から立候補し、最初は泡沫候補と見なされたものの討論会で注目を集め、一時は三番手に浮上した。予備選から撤退したあとはトランプを支持し、イーロン・マスクとともに「政府効率化省(DOGE)」の共同議長への就任が発表されたが、就任を辞退して26年のオハイオ州知事選への出馬を表明した。
近年、アメリカではインド系のイデオローグやインフルエンサーの活躍が目立つようになった。「ネットワーク国家」を提唱するバーラジ・スリニヴァサンと同じく、ラマスワミも典型的なインド系アメリカ人のエリートだ。
【参考記事】
●アメリカでインド系のソートリーダーが唱える「ネットワーク国家」とは?21世紀には近代国家がネットワークに置き換えられるのか?
スリニヴァサンとラマスワミに共通するのは、シリコンバレーで大きな成功を収めたにもかかわらず、Woke(ウォーク:社会問題に意識高い系)やSJW(Socia Justice Warrior:社会正義の戦士)などの左派(レフト)の社会活動家やリベラルのエリートに反発し、「保守主義」を唱えていることだ。
ここでは、ラマスワミが2022年に刊行した“Nation of Victims: Identity Politics, the Death of Merit, and the Path Back to Excellence.(被害者の国 アイデンティティ政治、メリトクラシーの死、そして卓越性に回帰する道)”からその主張を見てみたい。そこから、「インド系アメリカ人の保守派」がどのような主張をしているかがわかるだろう。

アメリカ社会はいまや、一般のひとには理解できない独特の言語で話し、書く高僧たちによって支配されるようになった
ラマスワミはこの本を、ナシレマ族というアメリカン・インディアンの奇妙な風習の話から始める。ナシレマ族は自分たちの身体が本質的に不浄だという考えに取りつかれており、とりわけ口から発せられる言葉が悪の根源だと信じていた。
現代アメリカは、このナシレマ族に不気味なほどよく似ているとラマスワミはいう。
多くのアメリカの儀式は、口がすべての罪の根源であるという信念に由来している。なぜなら、口から発せられる言葉には、害を及ぼす超自然的な力があると考えられているからだ。
多くのひとが、言葉による加害は実際の暴力の一形態であり、物理的な暴力よりもさらに破壊的な可能性があると主張してる。アメリカ人は科学以前の超自然的な体系を信じており、その体系では、人間が発する言葉自体が自己と世界を変える主要な力であり、行動は言葉の効果にすぎない二次的なものとされている。そのため「アメリカ人」は、より強力な言葉を探し求める不断の探求によって定義されることになる。
アメリカ社会はいまや、一般のひとには理解できない独特の言語で話し、書く高僧たち(トマ・ピケティのいう“バラモン左翼”)によって支配されるようになった。その典型が米国医師会と米国医科大学協会による文書で、ここでは「vulnerable(脆弱=ぜいじゃく=な)」という言葉を「oppressed(抑圧された)」に置き換えるべきだと提案されている。
病気やケガによってひとは身体的・精神的に脆弱になる。しかしいまや、遺伝や不運で引き起こされた肉体的苦痛さえもが、社会的な「抑圧」として理解されなければならない。がんや成人病は医学的な治療の対象というだけでなく、人種やジェンダーなどを理由とした「抑圧」の文脈で語ることが「政治的に正しい(politically correct)」のだ。
言語相対論はサピア・ウォーフ仮説(SWH)とも呼ばれ、人類学者・言語学者のエドワード・サピアとベンジャミン・リー・ウォーフによって20世紀初頭に唱えられた。それによると、言語は客観的に世界を記述するのではなく、どのような言葉(名前)を採用するかが世界観の形成に影響する。
ジョージ・オーウェルはディストピア小説『1984』で、言語をコントロールすることで社会をコントロールする全体主義国家を描いた。フランスの思想家ミシェル・フーコーは、知や言葉のなかに埋め込まれた権力関係を精緻に分析した。
ところがこれを徹底すると、「どのように呼ぶかによって、なんであるかが決まる(存在よりも命名が先行する)」という魔術的思考に陥ってしまう。そしていったんこの思考法に支配されると、誰が「正しい名」を知っているかの競争が生まれる。
人種問題において、「有色人種」の正しい名は最新の定義では「POC(people of color)」で、アメリカの歴史においてとりわけ抑圧されてきた黒人(Black)とアメリカ原住民(indigenous people)を強調した「BIPOC」がより政治的に適切だとされる。そしてこのルールを知らない者を、Wokeは「レイシスト(人種主義者)」のレッテルを貼ってキャンセルする。それに対抗するには、自分もまた「被害者」であることを証明しなければならない。
こうしてアメリカは、「黒人の被害者、白人の被害者、リベラルの被害者、保守派の被害者、インド系の被害者」などがあふれる「被害者の国」になってしまったとラマスワミはいう。
「お前は俺より黒いのだから、俺を脅すことは許されない」
数年前にラストベルトに住む親戚を訪ねたときの出来事から、ラマスワミはアメリカ社会の宿痾(しゅくあ)である人種問題を論じる。
叔母から、新しい隣人が芝刈りをするとき、自分たちの家の車道側に刈った芝を寄せてしまうので困っているという話を聞いたラマスワミは、翌日、芝刈りをしている隣人に声をかけ、自己紹介したあと、「刈った芝が飛び散らないようにしてくれませんか」と頼んだ。
隣人がラマスワミを無視して庭に戻ろうとしたので、「自分は友好的に解決したいのだが、第三者が必要ならそうしましょう」というと、男はラマスワミに向かって突進し、大声で悪態をつき、「お前の肌の色は俺より3段階も黒い」と何度も叫び、ひと言でもよけいな口をきけば、銃を取りにいって「このくそったれを終わらせる」と怒鳴った。
ラマスワミの叔母がその場で泣き崩れると、男は「彼女(叔母)がそこにいるから、地面に血が流れていないのだ」と宣言して、自宅に戻っていった。
肌の色を理由に罵られたラマスワミは最初、自分がレイシズムの被害者になったのではないかと思った。ところがこの話を知人にすると、「人種差別的なのは君だ」といわれて驚いた。なぜなら、「お前の肌の色は俺より黒い」と罵倒した隣人は黒人だったのだ。
リベラルの友人の理解は、ラマスワミとはまったく異なっていた。それは次のようなストーリーになる。
ある黒人の男が平和に芝刈りをしていた。ひょっとしたら、その日は彼にとって最悪の日だったのかもしれないし、最悪の人生だったのかもしれない。すると、それまで一度も見たことのないインド人がやって来て、芝刈りのやり方を変えるよう要求した。
黒人の男がそれを拒否して自分の仕事に戻ると、今度は警察に通報すると脅された。黒人以外の見知らぬ男から、人種差別的な警察を呼ぶと脅され、命の危険にさらされたのだから、黒人の男が怒りを爆発させたのも無理はない。そこで黒人の男は、暴力の脅威に対して、同じだけの暴力で対抗したのだ。
ラマスワミは「第三者」として住宅所有者協会のような中立の機関のことを考えていた。だが、黒人の男が「警察を呼ぶ」と脅されたと感じたとしたら、あの極端な反応も理解できるのではないかラマスワミは考えるようになる。「お前は俺より黒いのだから、俺を脅すことは許されない」というのが、黒人の隣人の主張だったのだ。
だとしたら問題は、黒人の男とインド系のラマスワミのどちらが「人種差別的」かではなく、「黒人はつねに被害者」という物語ではないだろうか。これが、人種問題を考えるラマスワミの出発点になった。