いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

「いつもメンタルが安定している人」の考え方・ナンバー1Photo: Adobe Stock

日本でカジュアルに政治の議論をするには?

 記者としてイギリスにしばらく行っていた友人が、カフェやパブで見知らぬ人同士がカジュアルに政治の話をしているのを見て、日本との違いを実感したらしい。

 日本の飲み屋で見知らぬ人同士で政治の議論をするなど、想像がつかない。

 友人も「あなたの考えはどうだ?」と聞かれて、現地で取材する中で思ったことなどを話したらしい。

 日本でももっとカジュアルに政治の話をできるようにするにはどうしたらいいのか?

 先日、イギリス帰りの友人含め、数人で集まってアイデアを話し合うことにした。

 しかし、正直言って難しかった。

 日本では「政治と宗教と野球の話はするな」などと言われ、タブー視されているところがある。個人の信条、価値観に深く関係するため、意見が対立すると関係が悪くなるおそれがあるからだ。

 とはいえ政治についての話題をつねに避けていれば、投票行動をはじめ政治参加は向上しないだろう。

 これほど政治の話がしにくいのは、私たちの世代がディベートの訓練をほとんど受けていないからなのかもしれない、とも思う。

 意見が対立しても、お互いのよい点は認め、より良い意見へと昇華させるとか、一つの議題で対立しただけで「この人とは合わない」と考えるのではなく、テーマごとに是々非々で判断するということができれば、関係がこじれることもないように思う。だが、感情的になるとそうしたことも難しい。

「外部をコントロールすることはできない」と考える

 もっと気軽に議論ができるようになるには、「ストイシズム(ストア哲学)」的な考え方が必要なのではないだろうか。

 ストイシズムは、議論がさかんな古代ギリシャで生まれた哲学の一派だ。

 ストイシズムでは、他人や外部のできごとはコントロールできないが、自分の内面はコントロールできると考える。ストア哲学者は、そうした考え方でつねにメンタルを安定させるように心を磨く。

 世の中には当然、意見の違う人たちがいる。ストイシズムの言う正義とは違う主張をする人たちもいるし、ストイシズムの理想と正反対とも言える行動をとる人もいる。

 そういったことに対し、不満を持たないのがストイシズムだ。人の意見はコントロールできないのだから、他人がどう思おうと悩む意味はない。同時に、すべての人に対して思いやりを持つ。感情的には共感できなくても、同じ人間として理性的に共感することはできるという。

 ローマ皇帝だったマルクス・アウレリウスは、「敵対する相手にも敬意を抱け」といったことを言っている。

間違っている相手を理解する

何に不満があるのか?
人間の悪についてか?
ならば、この結論を思い出せ。
理性的な動物は互いのために存在し、耐えることは正義の一部であり、人は意図せず間違いを犯すということを。
(マルクス・アウレリウス『自省録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より

 誰も「間違ったことをしたい」と思って間違えるわけではない。

「全然話が合わない! まるで理解していない!」と腹の立つこともあるかもしれないが、相手にとってはそれが正しいことなのだ。こちら側の正義とは違うからと言って、相手が悪であるわけではない。

 私たちは理性的な動物として生まれてきたのだから、その理性を十分に使って、すべての人に共感と敬意を持って接すべきということだ。

 理性的な共感をベースに置きつつ、政治の話をすればどうだろう。相手をコントロールしようとせず、敬意を持って接すればケンカにならないはずだ。

 そのためにも、ストイシズムを学び、心のトレーニングを続けていきたい。

(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)