いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

何度も繰り返す失敗と依存
先日、大変反省することがあった。
友人たちとの飲み会で記憶をなくすほどお酒を飲み、翌日は二日酔いでほぼ何もできなかったのだ。
友人が写真を送ってくれたが、その写真を撮られた記憶もなく、どうやって帰ってきたかも覚えていない。気づいたら家の廊下で寝ていた。
これまでの人生の中で何度も「もう二度とこんな失態をおかしたりしない」と思ってきたのに、またやってしまったのだ。
もう飲みたくない。
これは本心だ。
別にお酒などなくたって生きていける。日常的に飲むのをやめて、たまに付き合い程度に楽しめばいいだろう。心からそう思っている。
それなのに数日も経つとなぜか冷蔵庫のビールを気にし始める。「飲まないとやってられないよ」と言い始める。酩酊状態を望んでしまう自分がいるのだ。
やめたいのにやめられない。もはやこれは「快楽の奴隷」なのではないか。
ストア哲学者のセネカは、「快楽の奴隷ほど悲惨なことはない」ということを言っている。
快楽を「当たり前」にしてしまっていないか?
これほど悲惨なことはない。かつては不要だったものが、なくてはならないものになってしまったのだから。
それではもう快楽の奴隷であり、快楽を楽しんでいない。(セネカ『ルキリウスに宛てた道徳書簡集』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
少し前、有名人の薬物乱用の話がネット上で話題になっていた。薬物ですごい快楽を得たあと、それをやめて元の生活に戻るのは想像を絶する大変さであるらしい。
心からやめたいと思っても、「なしでは生きられない」ような状態になってしまっているのだ。セネカの言うように、それではもう快楽を楽しんではいない。奴隷だ。自由を失ってしまっている。
薬物乱用までいくと、犯罪者となり、のちの人生にまで大きな影響を与える。だが、アルコールのような合法のものでも、「これなしでは生きられない」ものがあれば要注意だ。そんな快楽を毎日の「当たり前」にしてしまうと、楽しむどころか、人生を振り回されることになってしまう。
私も、ときどきセネカにガツンと言ってもらいながら、「それは本当に自分の意志か? 快楽に支配されているだけではないか?」と、我が身を振り返っていきたいと思う。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)