いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

知識を自分のものにする本の読み方
本の読み方には大きく分けて二通りある(実用書の場合)。
情報やノウハウを得ようとする読み方と、著者の考え方を知ろうとする読み方だ。
たとえば、著者は誰であってもよく、リーダーシップについて学びたいから本を買って読むというのは前者で、リーダーシップについても知りたいが、むしろ著者自身への興味のほうが大きいから読むという場合は後者だろう。
私はどちらの読み方もすることがあるが、記憶に残りやすく、より影響を受けるのは「著者の考え方を知ろうとする読み方」である気がしている。
なぜ著者はこう言っているのか、何を伝えたいと思っているのか。一人の著者の本を何冊も読んでいると、あるいは一冊でも繰り返し読んでいると、考え方がインストールされるような感じになる。すると、何か課題があるときに「○○さんならこう言うのではないか」と、自分の中にいる著者を頼りにできるようになってくる。
これはとても心強い。自分の中に何人か住まわせることができれば、あらゆる問題が解決できそうな気がする。
ストア哲学者のセネカは、「手本となる人をつねに思い描いていなさい」と言っている。
手本を見つける
自分の人格を管理するうえで、拠りどころとなる人は絶対に必要だ。
定規を使わないかぎり、曲がっているものは決して真っ直ぐにならないのだから。(セネカ『ルキリウスに宛てた道徳書簡集』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
私たちは、生き方の目標を立てても、日々の忙しさに流され、さまざまな誘惑に負けそうになり、迷ってしまう。だから理想的な生き方をしている人を拠りどころにしなさいというわけだ。
セネカは、暴君として有名なローマ皇帝ネロの少年時代には家庭教師、ネロが皇帝に即位してからは政治的な補佐役を務めた。ネロの残虐非道な行為は、ストイシズムをもって諫めようとしても止めることはできなかった。ネロだけでなく、セネカは腐敗した宮廷でさまざまな人間の弱さを目の当たりにしたという。
「定規を使わないかぎり、曲がっているものは決して真っ直ぐにならない」という言葉には、教育者としてのセネカの実感がこもっているように感じられる。
ストイックな考え方をインストール
もちろん、身近に師となる人物がいればいいだろう。手本として、もっとも思い描きやすい。
だが、身近にいなくても本がある。本なら時代も場所も超えて、理想的な人物の考え方を知ることができる。
『STOIC 人生の教科書ストイシズム』は、まさにストア哲学者の考え方を自分にインストールするための本だ。私はこの本を読み込み、セネカをはじめとするストア哲学者たちの生き方と考え方を思い描くことで、自分の中に「ストイシズム」という心強い拠りどころができはじめている。
本書はただ読むだけでなく、実践のための仕掛けがある。一日ひとつ、ストア哲学者の言葉が紹介され、それぞれの言葉に、その考え方を自分のものにするためのワークがついているのだ。そうして、90日間をかけてストイックな考え方をインストールできるようになっている。
「情報」として言葉だけを読んでしまえば、あっというまに読み切れるかもしれないが、考え方を一つひとつ理解して自分に落とし込もうとするとそれなりに時間がかかる。
多読・速読タイプの人も、ときにはこんなふうにじっくり向き合う読み方もいいのではないだろうか。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)