政府の基本認識とは異なる歴史観を展開した論文を書いて民間の懸賞論文に応募したとして、航空自衛隊のトップである田母神航空幕僚長が更迭された一件は、とても大きな話題となった。
最初にこの事態が明らかになったとき、麻生首相は「幕僚長という立場としては不適切」とコメントした。ならば「幕僚長という立場でなければ適切だとお考えですか」と記者たちに訊いてほしかった。なぜならこの首相は、かつて北朝鮮に対して敵基地攻撃論を唱えた人なのだ。意識はきわめて近いと考えるべきなのだろう。つまり、この国のシビリアン・コントロールなど、とっくに有名無実化しているとの見方もできる。
いずれにせよ、「空自トップの位置にありながらこの行動は許されない」との論旨は、(首相だけではなく)ほとんどのメディアや識者においても共通していたようだ。
僕の考えは少し違う。たとえ航空自衛隊のトップの位置にいようとも、思うことや考えることを表明する権利は、いついかなる場合でも保障されねばならない。いやむしろ、日本の防衛機構のトップの立場にいるからこそ、個人的な思想信条はつねに表明され、多くの人の目や耳に晒され、あらゆる角度から批判されねばならないと考える。
報道によれば、統合幕僚学校長時代に「歴史観・国家観」というタイトルの科目を新設した田母神前航空幕僚長は、「新しい歴史教科書をつくる会」の役員や、保守派の作家、大学教授などを講師に起用していたようだ。これらの講座の多くは、「現在の日本の歴史『認識』は日本人のための歴史観ではない」とか、「蒋介石と日本の衝突の背後には米英やソ連、さらにはコミンテルンの暗躍があった」などと強調し、田母神前航空幕僚長の今回の論文の主張と多くの共通点があったという。また田母神前航空幕僚長が過去に、今回の論文とほぼ同じ趣旨の文章を、空自隊内誌「鵬友」に寄稿していたことも明らかになっている。
つまり、彼のこの思想は自衛隊内部で増殖していたのだ。
口を封じるから内圧が高くなり、その帰結として別の場所に口が開く。晒されないから稚拙なレベルで凝り固まる。批判されないから増殖する。そして自分たちは弾圧を受けているとのヒロイックな錯誤に陥る。今回の騒動はまさしくその典型だ。
まず、あまりの
文章の拙さに驚いた
で、肝心の論文「日本は侵略国家であったのか」だけど、ここで展開される論理や思想信条について触れる前に、まずはあまりに文章が拙いことに驚いたことを指摘せねばならない。
もちろん、人格が高潔でも文章を書くことが苦手な人はいくらでもいる。驚いた理由は、文章の完成度や技巧なども含めて審査されるべき懸賞論文で、なぜこれが最優秀の評価を受けたのだろうと思ったからだ。