世界的なベストセラー『嫌われる勇気』の著者である古賀史健氏の新刊、『集団浅慮 「優秀だった男たち」はなぜ道を誤るのか?』が発売され、早くも大きな反響を呼んでいます。
今回は同書より、しばしば日本社会特有の現象とも誤解される「同調圧力」と「集団浅慮」の関係性を紐解いた部分を紹介します。

居酒屋でビールと焼き鳥Photo: Adobe Stock

料理評論家が、高級フレンチよりも町の焼鳥屋さんを怖がったわけ

 しばしば同調圧力は、日本社会特有の現象として語られる。欧米には同調圧力など存在せず、個人が自由に発言し、自由に生きているとのイメージを持つ読者も多いだろう。

 しかし、これは誤解に過ぎない。同調圧力(peer pressure)は、人間社会のどこにでも存在する普遍的な現象だ。

 たとえば米国では、子どもたちが薬物や飲酒等に手を染めるおおきな要因として、「友人グループによる同調圧力」が指摘されている。悪いことだとわかっていても、友だちに誘われたらなかなか断れないし、断ったら仲間はずれにされたり、暴力を振るわれたりする、というわけだ。

 ここから米国では、「同調圧力にどう立ち向かっていくか」という対処法を組み込んだ教育プログラム「D.A.R.E.」が開発され、全50州で実施されている。同調圧力は、日本に限ったものではまったくない。

 それではなぜ、日本人はこれほど同調圧力に敏感で、あたかも日本社会特有の現象のように考えてしまうのか。

 2021年に話題を呼んだ『同調圧力の正体』(PHP新書)の著者、同志社大学政策学部の太田肇教授は、「集団」をふたつに大別する。

 ひとつは、家族やムラのように自然発生的に生まれた「基礎集団(共同体)」。
 そしてもうひとつが、企業や学校、政党や官公庁など、なんらかの目的を持って構成される「目的集団(組織)」だ。

 この分類でいくと、企業とは当然目的集団としての「組織」である。しかし同書のなかで太田教授は、日本企業がきわめて基礎集団(つまり共同体)に近い集団に変容しており、日本は「組織が共同体化する」社会なのだと指摘する。端的に「組織がムラ化する」社会と言ってもいいだろう。

 いったいなぜ、日本の組織はムラ化していくのか。――ここに集団浅慮の光を当てると、理解は容易になる。

 ジャニスの指摘を思い出してほしい。凝集性の高い組織は、メンバー間の友好的な関係を保つために「インフォーマルな規範」をつくり出す。明文化されることのない、暗黙のルールである。メンバー全員がその規範を守っている限り、余計な衝突を起こさずにすむ。

 では、われわれのまわりにある「インフォーマルな規範」によって運営される集団の、最たるものと言えばなにか。

 ムラであり、家族である。ムラや家族に、明文化されたルールはない。伝統的な慣習、暗黙の了解、いつの間にか共有されたナラティブやコンテクスト、さらには目に見えない絆。これら、まさに「インフォーマルな規範」としか呼べないものによって運営されるのがムラであり、家族である。

 続いて、その凝集性(ぎょうしゅうせい)はどうか。明らかに高い。ムラや家族のなかで、生まれながらに従ってきた「インフォーマルな規範」は、その妥当性を疑うことさえ困難なほどわれわれの身体に染みついている。そしてその規範に従っている限り「これまでどおり」の日常が保障されている。

 だからこそ、ムラや家族の共同体から飛び出すこと(たとえば上京したり、海外移住したりすること)には多くの葛藤、逡巡、軋轢が伴う。まして、家族の絆(ときに鎖)から自由になろうとした際には、絶縁も厭わないほどの覚悟が求められる。「毒親」の毒性を知りつつもその支配から逃れられない人々が多いのも、ひとえに家族・血縁の凝集性に原因があると言えるだろう。

 つまり、ジャニスの指摘した「凝集性の高い組織」とは、ほぼ「ムラ化した組織」とイコールなのである。

 日本企業は、理由もなくムラ化していくのではない。

 その「凝集性の高さ」ゆえにムラ化するのだし、同調圧力を強めていくのだ。

 そして日本社会は「同調圧力が強い社会」という以前に、「凝集性が高い社会」であり、「インフォーマルな規範によって運営される社会」なのである。

 そういえば以前、ある料理評論家に取材したとき、彼はおもしろいことを言っていた。日本人は高級フレンチのことを「マナーがうるさくて怖い」と思っている。しかし彼に言わせれば町の焼鳥屋さんのほうがずっと怖いのだそうだ。

 というのも高級フレンチには、歴然としたテーブルマナーがあり、ルールがある。そしてそのルールさえ身につければ、世界のどこに行っても通用する。パリのレストランであろうと、ニューヨークのレストランであろうと守るべきルールは同じであり、恥をかくことはない。

 ところが、焼鳥の食べ方に統一ルールは存在しない。

 お店ごとにルールがあり、なかには非合理的なルールも多い。だから「一見さん」は恥をかかされることもあるし、嫌な思いをすることも、「排除」されることもある。一方でこれらローカル食は、全国統一のルールが存在しない分、常連になると居心地がいい。いまさら「一見さん」として知らないお店を訪ねるよりも、顔なじみの店主がいて、ドメスティックなルールを熟知したお店で食べるほうがずっと安心できるからだ。――そう彼は説明するのだった。

 この話はどこか、転職の容易な欧米企業(目的集団としての組織)と、終身雇用を前提とした凝集性の高い日本企業(ムラとしての組織)の違いを表していないだろうか。

 同調圧力は、凝集性の高さから生まれる。そして所属メンバーの安心感や居心地のよさを守るために発動される。

 続いては、この「安心感」と集団浅慮の関係を見ていこう。

※この記事は『集団浅慮 「優秀だった男たち」はなぜ道を誤るのか?』の一部を抜粋・変更したものです。