決して得意ではなかったのに気づけば没頭していたということが、この数カ月の間に何度かあった。何に没頭したかというと、何もしないことである。ふと気づくと何もしないでいるようになったのは今年の夏、バージニア州南西部にある別荘の山小屋で静寂の中にいたときのことだ。30メートルほど離れたモーリー川から聞こえてくる眠気を誘うような水音がその環境をつくり出していた。日の出前、裏のポーチに座りながら友人からも家族からも邪魔されないと思うと、これから始まる1日は私を遮るものは何もないという気持ちが高まった。その場にゆったりと腰を下ろしていると、静かな空間で行う深呼吸のエクササイズをする気にはならなかった。エクササイズをするということは、何かをするということであり、何もしないという自然さは失われていただろう。
「何もしない」引退生活の喜び
残された時間を最大限に生かすため忙しく過ごせと私たちは聞かされてきたが、その逆の何もしない生活にはプラスの側面が多い
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