日本では、「孤独」は否定的に扱われ、「ぼっち」と揶揄されることもある。しかし、孤独は本当にそんなマイナスなことなのだろうか。19世紀ドイツの哲学者・ショーペンハウアーの考えをまとめた『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』によると、彼は孤独を「偉大な人間の特性」とし、「心の平和と幸福は、自分の孤独のなかでのみ生まれる」と考えた。本記事では、ショーペンハウアーが幸福の条件として「孤独」を挙げた理由について解説する。(文/神代裕子、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)
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「孤独」とは寂しいものではない
2005年ごろ、「便所飯」という言葉が話題になった。
便所飯とは、学生が一人でいる姿を見られたくないという心理から、学食ではなくトイレの個室で食事をする行為を表したものだ。
初めて耳にしたときには非常に驚き、「随分と幼い価値観だな」と思ったものだ。
しかし、それくらい、当時の日本の若者にとっては「一人=恥ずかしいこと」という空気が蔓延していたのだろう。
一方、19世紀ドイツのショーペンハウアーは、孤独と社交性を対立するものと見ていた。
ショーペンハウアーは、「知的能力が高い人であるほど、ひとりで過ごそうとする傾向が強まり、知的能力が低い人であるほど、誰かと一緒にいようとする傾向がある」と語った。
彼は、「孤独は偉大な人間の特性」と考えていたのだ。
「孤独」は自立ができている証拠
確かに、大人になり、成熟していくほど孤独が怖くなくなる。
筆者も覚えがある。
若い頃は、洋服を買う時に必ず友人と連れ立って出かけた。「どちらがいいと思う?」などと相談したかったからだ。
しかし、いつの頃からか、一人で買いに行くのが普通になった。誰かと一緒に行って、試着などで待たせることが申し訳ないと思うようになった。
むしろ、一人で行って、納得のいくまでゆっくり考えて選びたいと思うようになったのだ。
買い物に限らず、一人で行動すること全般が、年々平気になっていった。
だからといって、別に誰かといるのが嫌になったわけではない。
「一人も悪くない」と思えるようになっただけである。今振り返ると、これは成長だったのだと思う。
「孤独に耐えられる」のは、大人になったということ
著者のカン・ヨンス氏は、「孤独こそ、人間本来の姿に近い」と指摘する。
しかし、自分自身とだけは唯一、完全な融和が可能である。だから、心の平和と幸福は、自分の孤独のなかでのみ生まれる。幸福になるには、その源である孤独を避けるのではなく、孤独に耐える方法を学ぶべきなのである。(P.217)
一方で、カン・ヨンス氏は人間が誰かと会うのは「孤独に耐える能力がないからだ」と説明する。
このようなときに他人と関わるのは、自分の孤独にひとりで向き合うのが怖くて、そこから逃げているのだ。(P.218-219)
これは「誰かと一緒にいることがよくない」と言っているわけではない。
「一人でいるのが怖いから」という理由で、不自由さやストレスを感じながらも、誰かといようとするのはよろしくない、と言っているのだ。
それはまるで、子どもが「一人は不安だから誰かにそばにいてほしい」と求める姿に似ている。
孤独に耐えられることは、自立し、大人になったのと同じことなのだ。
人間関係に左右されないための思考
30代、40代と、だんだん旧友との距離感が遠くなっていく。
年を重ねるうちに、仕事で責任のある立場になったり、結婚して家族ができたりして日々の生活が忙しくなるからだ。
カン・ヨンス氏は「年を取るにつれ、孤独が私たちの友になるのだ。そして、真の幸福は、自分の内側からひとりの力で見つけるべきだという事実に気づくだろう」と語る。
だからひとりでいられる力をつけるため、思考と知恵を豊かに育てる必要があるのだ。(P.220)
では、その“ひとりでいられる力”はどう育てていけばいいのだろうか。
ひとりでも豊かな時間を過ごすための方法はたくさんある。
読書や音楽を楽しんだり、散歩をしたり、時には一人旅に出るのもいいだろう。自分の行きたいところに、誰にも気を遣うことなく、自分のペースで行けるのは幸せなことだ。
孤独は、自立の証であり、本当に自分を解放できる貴重な時間でもあるのだ。
カン・ヨンス氏は「この世で私たちが頼れるものは、ただ自分自身であり、自分を絶対的に信頼するとき、最も幸福でいられる」と語る。
なぜなら、他者に依存しなければ、過剰な期待を抱く必要もなく、失望したり傷ついたりすることも減るからだ。
「ひとりでも幸福になれる人は、わざわざ自分を犠牲にしてまで、他人と付き合う必要はない」
このカン・ヨンス氏のアドバイスを胸に、人との距離感を意識的に見直し、“ひとりでいられる力”を磨くこと。それこそが、ショーペンハウアーが言う「心の平和」への第一歩なのである。









