「なんだか生きるのがつらい」と感じた経験は、誰しも一度はあるだろう。そんなときに頼りになるのが『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』だ。本書は、韓国で社会現象を起こした哲学書『40歳で読むショーペンハウアー』の翻訳版である。人気K-POPグループIVEのチャン・ウォニョン氏や俳優のハ・ソクジン氏が紹介して話題となった作品でもある。「あらゆる人生は苦痛である」と語り、厭世主義者(ペシミスト)と呼ばれたショーペンハウアーが考える人生の苦しみとは何か。本書の内容をもとに紹介する。(文/神代裕子、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)
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人生の苦痛は人間本来の欲望から生まれる
お金がなくてつらい。
仕事がうまくいかなくてつらい。
体調が悪くてつらい。
愛されなくてつらい。
自分の外見に納得がいかなくてつらい。
人によって「生きるのがつらい」と感じることはそれぞれだ。
結局のところ、その苦しみの根にあるのは「自分の思い通りにならない」という不全感ではないだろうか。
19世紀ドイツの哲学者・ショーペンハウアーは、人生が苦痛の連続である理由を「生き残ろうとする人間本来の欲望のせいだ」と述べている。
何かを追い求めるからつらくなる、ということだろう。
しかし、「何も求めない人生」を生きるのも、つらいのではないだろうか。
お金があってもなくても、幸せになるのは難しい
そもそもショーペンハウアーは「人間は無数の欲望の塊である」と述べている。
彼の言う欲望とは、生存に必要な食欲だけでなく、睡眠欲や性欲、さらには自己実現なども欲望であるという。
著者で韓国・高麗大学哲学研究所研究員のカン・ヨンス氏は次のように説明する。
欲望の塊である人間がこの両極端の欲望をうまくコントロールし、バランスを保つことが幸福に至る道なのだ。(P.37)
しかし、この「欲望をうまくコントロールする」ことは、実際には容易なことではない。
その理由として、ショーペンハウアーは次のように指摘する。
人生とは、この二つの間を行き来するものだと言える。
外面的には困窮と欠乏が苦痛を生む一方、安全と過剰は退屈を生む。
そのため、下層階級の人々は困窮による苦痛と絶えず闘う反面、富貴な世界に暮らす人々は退屈を相手に闘いを繰り広げるのだ。(P.45)
要するに「お金があってもなくても幸せになれない」と言っているわけだ。
しかし、お金がない苦痛は多くの人が想像できるが、「お金があることによる退屈」は、あまり意識されない。
でも、欲しいものを全部買うことができて、したいと思っていたことも一通り体験してしまったら?
「この先、どのように過ごせばいいかわからない」と戸惑うのではないだろうか。したいことはすぐできてしまうのだから、そのうち飽きが来るのは想像に難くない。
そう考えると「お金が十分にあること=欲望を簡単に満たせること」が幸福とは言い切れないのかもしれない。
では、一体どうすれば幸福な人生を送ることができるのだろうか。
欲望に振り回されない幸せは「精神的な豊かさ」にあり
カン・ヨンス氏は「苦痛と退屈は、一方が遠ざかるにつれ、もう一方が近づいてくる」というショーペンハウアーの言葉を受け、次のように語る。
豊かな想像力を持ち、頭脳の活動力が優れた人は、退屈を感じることがない。(P.50)
冒頭に挙げたように、他人から与えられる評価や愛情、お金、仕事など、外部要因で自分を満たそうと思うと、叶えられないことは多々ある。
そして、それらを満たすことに必死になった末に待っているのが退屈だとすれば、それはあまりに虚しい。
私たち、特にそれなりに長い時間を生きてきた40代以降の人々は、お金や地位があればいいわけでも、結婚や出産さえすれば幸せになれるわけでもないことも知っている。
それらの要件が満たされていても「不幸だ」と嘆く人がいるのを見てきているからだ。
だからこそ、お金や仕事、結婚、外見などの要因では左右されない「精神的な豊かさ」を身につけることが幸福の鍵となるのだ。
重要なのは、外部要因に左右されない「自分だけの楽しみ」を持つことである。
ショーペンハウアーが言うように、目を向ける方向を少し変えてみるだけで、「生きるのがつらい」という感覚は、確かに軽くなるはずだ。









