「私は幸せだ」と今の人生に満足している人よりも、「もっと幸せになりたい」「こうなれたら」と願う人の方が多いのではないだろうか。人間の欲望には終わりがない。何か一つが満たされたとしても、すぐに他の欲が出てくる。そんな私たちが幸せになる方法について、19世紀ドイツの哲学者、ショーペンハウアーの考えをもとに教えてくれる本がある。『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』だ。本記事では、欲望に振り回されずに幸せになる方法について、本書の内容をもとに紹介する。(文/神代裕子、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)
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満たされ続けることがない人間の欲望
自分の人生に満足するのは難しい。
叶うことなら誰だって、もっとお金が欲しいし、素敵な人をパートナーにしたいし、やりがいのある仕事に就きたいし、自由に暮らしたいと思ってしまうだろう。
特に、SNSで気軽に他人の日常を見ることができるようになった現代では、他の人が充実した日々を送っていたり、贅沢をしていたりするのを見ると、「私もこんな毎日を送りたい」と羨んでしまうのも仕方がないことだ。
著者のカン・ヨンス氏は「人間の欲望は、満たされ続けることはない」と語る。
なぜなら、「欲望を満たして得られる満足よりも、さらに求めようとする貪欲の方が勝っているからだ」と指摘する。
19世紀ドイツの哲学者で、厭世主義者(ペシミスト)として知られるショーペンハウアーは、次のように語る。
この欲求は、満たされれば終わる。
しかし、一つの望みが叶ったとしても、十の望みは叶わぬまま残る。
しかも、欲望は長く続き、欲求はいつまでも残る。
つまり、満足はごく短時間で終わり、十分に満たされないのだ。
意欲の対象が手に入らなければ、確固とした継続的な満足は得られない。
これはまるで、物乞いに善行を施すと、今日の彼の命をつなぐと同時に、苦痛を明日まで長引かせるのと同じことだ。(P.63)
確かに、お金でも地位でも権力でも、美貌であっても、「ここまで得たからもう十分だ」と割り切るのは難しい。
そのため、カン・ヨンス氏は「すべてを満たすことが難しければ、欲望を減らす必要があるのではないか」と提言する。
真の幸福は失って初めて気がつく
もう一つ、幸せに生きる方法として、ショーペンハウアーは欲求を満たすことではなく「苦痛を取り除くこと」を提案している。
ショーペンハウアーは、苦痛は快楽よりも強力であると指摘する。その理由は次のとおりだ。
わかりやすいのは健康だ。
例えば、虫歯が痛むと何事にも集中できないし、治療をするまでずっと不快な気持ちになる。
指先を紙で切ってしまったときもそうだろう。チクチクと鈍い痛みが続いて、ちょっとした動作がしづらくなる。
幸福もこれと同じことだ。カン・ヨンス氏は「自分が持っているときは気づかないが、失くしてみると気づくものが真の幸福なのだ」と語る。
幸せになる方法は「苦痛を取り除くこと」
さらに、カン・ヨンス氏によると「幸福が消極的な性質を持つ理由は、欠乏を満たした状態だからだ」という。
足りないものを満たした。それ以上の幸福を感じようがないのだ。
一方で、苦痛は「当たり前に持っていたもの」を失うことによって生じるので、その喪失感は長く残る。
このことを踏まえて、「ショーペンハウアーは苦痛の原因を取り除くことこそが、快楽を求めるよりも賢明である」と提言しているのだ。
見るべきは「苦痛や欠乏がない」状態
私たちはつい、何かを得ることで幸せになろうとしてしまうが、「苦痛がないこと」にまずは注力する必要があるということだ。
カン・ヨンス氏は「幸福な人生を決定づける要因は、苦痛に耐え抜く忍耐力の有無にある」と語る。
40代になると、仕事に関しては成功した人とそうではない人の差が明らかに出てくるし、若い人のハリのある肌が羨ましく感じられる。
しかし、40代以降の人生で大事なのは、事業で大成功するよりも人間関係に苦痛のない職場で働けることであり、若さや美しさ以上に、健康で元気に動ける体でいることなのだ。
そのように考え方を切り替えると、意外と自分の人生も悪くないと思える人も多いのではないだろうか。
あなたが今いる「苦痛の少ない環境」や「健康な体」は、思った以上に得難いものなのだ。その事実をしっかりと自覚することこそが、幸せに生きる第一歩なのである。









