「いつも、考えすぎて損してばかり!!」
日本人は礼儀正しくて、とても優秀……なのに、日々必要以上に思い悩んでいないだろうか?
「“究極の合理思考”を身につければ、もっと楽しくラクになる」――。数十億規模の案件に関わり、インド人部下オペレーションを経験したインド麦茶氏は、「常に自分中心」「短期志向」「無計画で今を生きている」ように見える彼らに「日本人が幸せを謳歌するための“ヒント”」を見出したという。
新刊『インド人は悩まない』では、人口14億・上位1%が富の40%以上を所有する超競争・過密・格差社会を生き抜く人々の「規格外の行動力」と「抜け目なさ」の秘密を紹介している。今回はその魅力の中から一部をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・榛村光哲)
Photo: Adobe Stock
インドでは大きな話題にならず
2025年の年末に、インドのガンジス川で放尿した日本人旅行者がSNSで大勢から批判を受けた事件が起きた。本件は、日本の長期休暇とも重なったことで、Xでも何千万回という閲覧数になり、正月からYahooニュースの見出しにもなった。
一方で、この件が現地インドでそこまで全国的に話題になったかというとそうでもない。確かにニュースで報道されたが、現地の警察も双方が謝罪したということで事は収まった。そもそもインドというのは、わけの分からない問題がそこら中で起きている国だ。
放尿行為自体は、世界のどんな場所でも非難されるべき行為なので、是非については語るまでもない。しかし、事件そのものではなく、日本とインドの大衆の“反応の違い”に、二つの文化の対称性をあらためて思い知らされた。
日本の「同質性」、インドの「無関心」
日本側の反応には、皆で社会正義・秩序を実現しようとする強い意識が見えた。「日本人の恥さらし」ということで、旅行者に非難が集中した。ほとんどの人間がこの配信者と自分の人生の接点がほとんどないにもかかわらずだ。
つまり、彼らの行動を正すことによる自分の明確かつ直接的利益は全くない人ばかりのはずだ。問題行動を起こした彼らも同じ集団の中の人物でありその集団の同質性のルールを破った行為を是正をしようとする心があるからだ。
インド側の反応を寛容と受け止める者もいるが。それは少し違う。これは寛容ではなく無関心なのである。放尿について是正することについても無関心である代わりに、この旅行者が何かに巻き込まれて死のうが生きようがどうだっていいと考えるという側面もあると事実も同時に理解しておかねばならない。
「自分に関係あること」に集中したほうが合理的
口うるさい日本人は、もしもこれらの旅行者が何かインドで被害にあったら大挙して批判してくれるし、救出に尽力してくれるかもしれない。一方で、インド側の思考であればそんな自分に一銭の特にもならないことに関心をむけることのほうがばかばかしく、非合理極まりないことに移る。逆に日本人は、そこに居合わせたわけでもないのに、これだけ多くの批判を遠隔で飛ばすという特異な対称性を見せている。
インドの場合広大かつ過密で言葉も通じない民族集団がいるなかで、一体感というものは生まれ社会正義をただすよりも、そんなことにリソースを割かずに「自分に関係のあること」集中したほうが合理的なのである。
一方で、日本はどうか。インドと比較すると導線が短い。社会集団に対して圧力や意見を加える(若しくは加えない)という行為が、自分に返ってくるスピードや直接性が非常に高い。だからこそ、集団からはみ出るような行為をするものに対して是正を促す行為が合理的になる場合がある。
「自分の人生」にフォーカスしよう
どちらの社会が生きやすいだろうか。行動や意見が制限される代わりに、あなたのことを気遣ってくれる集団が存在する。それぞれが異なる社会システムで動いている。
相互監視的な側面がある社会の良さは、監視されて行動が制限される代わりに、相互扶助も存在してくれる点である。ルールを守っていれば、そこで不利益が生じないようにしてくれる。
この一方が消失してしまったら、ただ息苦しい相互監視機能のみが残ってしまう。現代の日本はそのような状態に陥っていると思われる。
もしそうであるならば、我々も「自分の人生」にフォーカスをしていく時かもしれない。生きようが死のうが自分には全く関係のない者と割り切って、それらを批判することも助けることも横において、自分の人生と自分の半径2mくらいに意識を集中する。やるべきこと、助けるべき家族に関心を向ける。異常な盛り上がりを見てそのように感じた。
(本記事は『インド人は悩まない』に関する特別な書き下ろし原稿です)









