「いつも、考えすぎて損してばかり!!」
日本人は礼儀正しくて、とても優秀……なのに、日々必要以上に思い悩んでいないだろうか?
「“究極の合理思考”を身につければ、もっと楽しくラクになる」――。数十億規模の案件に関わり、インド人部下オペレーションを経験したインド麦茶氏は、「常に自分中心」「短期志向」「無計画で今を生きている」ように見える彼らに「日本人が幸せを謳歌するための“ヒント”」を見出したという。
新刊『インド人は悩まない』では、人口14億・上位1%が富の40%以上を所有する超競争・過密・格差社会を生き抜く人々の「規格外の行動力」と「抜け目なさ」の秘密を紹介している。今回はその魅力の中から一部をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・榛村光哲)
 Photo: Adobe Stock
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見た目が良ければ「中身は二の次」
「人は中身だ」というが、ここインドでは、人は文字通り掃いて捨てるほどいる。どこを見ても人だらけである。そんな中で「俺の中身を見てくれ!」というのは、この地で生き残る姿勢としてなんともひ弱な期待である。この超競争過密社会において、一人の人間に与えられた時間というものはほんの一瞬に過ぎない。
インド民を観察していると、彼らがこのような環境で生き残るために最適化された一つの傾向と戦術を持っていることに気づく。それが「ハッタリ」の有効活用であり、「見た目第一主義」の戦術である。そもそも考えてみれば、果たして他人の本当の中身まで見る機会がどこまであるだろうか。
中身や本質的機能や価値が備わっていなくとも、まずは見た目をどうにかする。顔や身体、服装などの外見だけでも価値があるように見せようとする。このような傾向が人間の行動のみならず商品やサービスの提供スタイル、物事の進め方にまで染みついているのだ。
「見た目も実力のうち」がインドの思考法
日本も含めインド以外の国は「中身がある人物」が成功する社会だろうか。「なんで、あいつが?」と思うことはあなたの周りでも日常茶飯事に起きていないだろうか。取り繕ったような「中身がない」人物にスポットライトが当たるのを見て、「私のほうが中身はあるのに」と、歯がゆく感じたことはないだろうか。
「人間は中身」という言葉にこだわりすぎる人は2つの重要なことを忘れている。一つは、「見た目こそが入口で、まずは入口に入ってもらわないと中身が豪華でもしかたがない」という事実だ。そしてもう一つは、「見た目の強化は中身を強化することよりほとんどの場合効率がよく、手っ取り早い」ということだ。つまり、ハッタリと見かけ倒しはもう立派な実力の一つである。
(本記事は『インド人は悩まない』の一部を抜粋・調整・加筆した原稿です)









