言い訳を捨てた人にだけ見える「投資と人生の本質」
テレビ・ネットで「日本のウォーレン・バフェット」と話題! 1936年(昭和11年)、兵庫県の貧しい農家に4人兄弟の末っ子として生まれた。高校を出してもらってから、ペットショップに就職。そこでお客だった証券会社の役員と株の話をするようになったことがきっかけで、19歳のとき、4つの銘柄を買ったのが株式投資の始まりだった。バブル崩壊では10億円あった資産が2億円にまで激減。しかしあれから70年、89歳になった今、資産は25億円以上に増え(2026年2月時点)、月6億円を売買しながら、デイトレーダーとして日々相場に挑んでいる。隠しごとなしに日常生活から投資法まで全部書いた話題の書『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え 資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものをお送りする。資産25億円に増えた今刊行した“小説形式”だからスラスラ読めて、プロの儲かる知識がドンドンわかる待望の続編は、『89歳、現役トレーダー 大富豪シゲルさんの教え』(ダイヤモンド社)。

資産25億円でも「割に合わない」!? 89歳現役デイトレーダーが語る“衝撃の本音”写真:川瀬典子

「好き」が高じてたどり着いた相場師の境地

私は1936(昭和11)年生まれで、2026年で89歳を迎えた現役デイトレーダーです。

投資を始めたのは19歳のときだったので、投資歴は70年になります。とはいえ、別に投資歴を誇りたいわけではありません。好きで株をやっていたら、いつの間にかこの年数になっただけですから。

この70年で、たしかに時代は大きく変わりました。戦中・戦後のひもじい時代から高度経済成長期、バブルとその終焉、失われた30年……。そのすべてをこの目で見て、株を通じて感じてきました。

バブル崩壊、震災……激動を乗り越えて

私自身、人生での浮き沈みはありました。仕事をせず、投資に専念するようになったのは1986年ごろからですが、バブル崩壊のあおりを受けて資金を減らしてから、あまり投資活動をしていなかった時期もあります。

また、神戸市に住んでいる私は、阪神・淡路大震災で被災。株を本格的に再開したのは、ネット取引を始めた2002年からです。

どん底から這い上がり築いた25億円

バブル期には資産を10億円から2億円まで減らしましたが、毎日デイトレードを続けた結果、現在の運用資産は25億円ほどに増えました。

生涯現役、死ぬまで勝負

「すごい」と言われることもありますが、私からすれば、これでもまだ十分とは思えません。私の生活は株を中心に回っていますから、その労力を思うと25億円でも見合うとは思っていないのです。だから、まだまだ死ぬわけにはいきません(笑)。

【解説】「生き残る」力こそが最強の戦略

シゲルさんの言葉から私たちがまず学ぶべきは、金額の多寡(たか)ではなく、70年という圧倒的な「生存期間」の重みです。多くの投資家がバブル崩壊や震災といった相場の急変動で退場を余儀なくされる中、シゲルさんは資産を大きく減らしても決して市場から逃げず、再び這い上がってきました。

ここにあるのは、「負けないこと」ではなく「負けても立ち直る資金管理とメンタル」の重要性です。長く相場に居続けること自体が、複利の力を味方につけ、資産を築くための最大の秘訣であることを、その生き様が証明しています。

年齢を言い訳にしない「順応性」

特筆すべきは、60代後半になってから「ネット取引」という新しい武器を手に取った柔軟性です。「昔はよかった」と過去の栄光にすがるのではなく、2002年というネット証券黎明期にいち早く順応し、デイトレードという高速回転の手法を取り入れました。

相場の世界では、昨日までの常識が今日も通用するとは限りません。87歳にして現役であるシゲルさんの姿勢は、常に新しいツールや情報を取り入れ、自己をアップデートし続けることの大切さを私たちに教えてくれます。

利益は「情熱と規律」の対価である

「資産25億円でも割に合わない」という言葉には、投資を単なる不労所得としてではなく、心血を注ぐべき「仕事」として捉えるプロフェッショナルの矜持が込められています。

好きだからこそ続けられる情熱と、毎日相場に向き合い続ける規律。この2つが揃って初めて、運に頼らない再現性のある利益が生まれます。まずは「株式投資を生活の一部として愛せるか」を、自らに問いかけてみてみるといいかもしれません。

※本稿は、『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え 資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。