松下幸之助が「技術が盗まれるから社員に教えるな」の忠告に背いたワケPhoto:SANKEI

「経営の神様」と呼ばれる松下幸之助も、若かりし頃には奉公先で失敗を重ね、人間関係の難しさにも直面した。だが、その一つひとつの経験が、後の経営判断に生かされていく。下積み時代の挫折と試行錯誤が、彼に与えた気づきとは。※本稿は、偉人研究家の真山知幸『下積み図鑑 すごい人は無名のとき何をしていたのか?』(笠間書院)の一部を抜粋・編集したものです。

小学校を4年で中退
わずか9歳で社会人デビュー

 一代でパナソニック(旧松下電器産業)という大企業を作り上げた、松下幸之助。今もなお、多くのビジネスパーソンに尊敬され、その経営術が注目され続けている。

 そんな幸之助にも、ほろ苦い下積みの時期があった。不幸の始まりは、父が米の相場に手を出して大失敗したことだ。家も土地も奪われ、貧しさから生活が苦しくなると、長男、次兄、長姉が立て続けに病死してしまう。

 幸之助は小学校を4年生で中退。わずか9歳で親もとを離れて、火鉢屋に泊まり込みで働くことになった。のちに当時をこう振り返っている。

「相当困窮した生活を家でしていた自分は、仕事の手伝いや雑務はさほどつらいとは思わなかったが、心の寂しさという点においては耐え難いものがあった」

 毎晩、母を思い出しては涙した幸之助。この火鉢屋で、人生初の仕事を経験した。

 その後、火鉢屋が移転することになり、幸之助は自転車屋で働き始めた。朝晩の拭き掃除と、並べられた商品の手入れを行い、自転車の修理を手伝う。「私はこういう鍛冶屋のような仕事が好きであった」と言っているように、性に合っていたらしい。