こうして、15歳での営業デビューは少しほろ苦いものとなったが、人の情を動かすことの大切さを、幸之助は身を以って学んだのであった。

 自転車屋での奉公生活を終えた幸之助は、大阪電燈に見習工として入社。異例のスピードで検査員へと出世、22歳で独立に踏み切る。幸之助と妻、義弟の3人での新たなスタートとなった。

 独立当初は苦戦したものの、コードをつなぐための配線器具「アタチン」でヒットを飛ばすと、2カ所から電源が取れる「二股ソケット(二灯用クラスター)」がさらなる人気商品となり、東京まで出回るようになる。

人情の大切さを知る幸之助が
新たな一歩を踏み出す

 仕事が回らなくなり、従業員を雇うことを考えるが、同業者からは「止めたほうがいい」と忠告される。従業員が技術を身につけるや否や職場から立ち去り、自分で起業したり、他社に情報を売ったりするリスクがあるというのだ。

 確かに、苦心して開発した商品のマネをされれば、死活問題だ。しばし考え込んだ幸之助だったが、悩みに悩んだ末に、こんな決断を下した。

「ここは腹を決めて、人を信用せなあかんな」

 幸之助は、身内ではない他人を初めて従業員として雇い、重要な製法を隠すことなくしっかりと説明した。

 その結果、大量の注文をさばけるようになり、かつ、心配していたような技術の漏えいも起きなかった。むしろ従業員は「こんな重要なことを教えてくれるなんて」と改めて責任感を持ってよく働くようになったという。

 下積み時代を通して幸之助は、人情の機微を、よくわかっていたのだろう。幼い頃からの商いの経験が、人間味あふれる幸之助の経営スタイルを形作ることになった。

【下積みから考える】
初めての経験で失敗したことはあるだろうか?どうしたらその失敗を次に生かせるだろう。