1963年9月10日号に掲載された、松下電器産業(現パナソニック)の創業者、松下幸之助(1894年11月27日~1989年4月27日)の手記である。
幸之助は、61年に松下電器の会長に退き、それに合わせて同年3月27日号より「週刊ダイヤモンド」に月一の連載を持っていた。「私見」と題した時事論評コラムで、68年11月まで続いた。また、それとは別に、頻繁に同誌のインタビューや寄稿の依頼に応じていた。なんともぜいたくな時代である。
今回の手記は、「名ある経営者が語る“私の経営哲学”」なる企画に寄せられたもの。幸之助の経営哲学はさまざまなかたちで世に出ているが、端的にその要諦と、そう考えるに至った経緯がまとめられている。
幸之助が戦後に始めたPHP(Peace and Happiness through Prosperity:繁栄によって平和と幸福を)研究は、経営者が利己的になることなく、多くの人々に物心両面における豊かさを実現することを求める活動だったが、その基礎となる独自の人間観や人生観、自然・宇宙観は、神道、仏教、キリスト教などさまざまな宗教や思想に接する中から形成されたといわれる。
今回の記事の中でも、30年前にある宗教団体を訪ねた際、その盛大ぶりから「事業経営の使命」を学んだと語っている。もう少し詳細に言うと、幸之助は32年に天理教の本部を見学している。祭殿建造のために大きな製材工場まで備えたその繁栄ぶりに感動し、一つの事業経営の姿として興味を覚えたと伝えられている。そして、世の中から貧困をなくし、水道から水が出てくるように、人々が欲しいものをタダのような価格で供給することを自らの使命としたという。
いま、幸之助は、多くの経営者に学びを与える“経営の神様”とあがめられているが、自身は62年に京都の別邸、真々庵の庭園に“宇宙の根源”を祭る「根源の社」という社を創建している。根源の社は京都市南区にあるPHP研究所京都本部の最上階や、大阪府門真市のパナソニック本社敷地内にも分祀され、幸之助はそれぞれの地を訪れた際には必ず、社の前で祈りをささげたという。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
自己中心の事業経営は
必ず衰退の道をたどる
私の経営に対する考え方については、すでに、いろいろなところで、話したり書いたりしているので、ある程度のご理解を頂いている方も多いかと思うが、ダイヤモンド社の求めに応じ、いまここに改めてその一半を記してみよう。
私は、今日の経営者にとって、いちばん大切なことは、社会に貢献するという使命感を、どの程度自覚しているかということだと思う。
事業というものは、私事でなく公事である。人間の生計の基礎をつくり、社会生活を向上させ、国家の繁栄、ひいては、人類の幸福に寄与することである。従って、単に自分の利益のみを追求するだけのものではいけない。
事業を営む以上は、広い視野に立って、全体のためにものを考え、これに準拠して経営が行われなければならない。この自覚が、われわれの日常の心構えの中に強く芽生えておらねば、経営者としての資格がないといえる。
しかも、ただ、芽生えるだけでなく、だんだんとその芽は、成長していかねばならぬ。
言い換えると、ただ事業の目的を自覚するだけでなく、それを行動に移し、継続して行うことが重要である。
しかし、多くの経営者の中には、事業は社会のために存在すると承知していながら、実際の経営に当たっては、やはり、自己中心のものの見方で経営し成功しようとする傾向が時に見受けられる。しかし、このように行動をすれば、その事業は、一時は栄えても、いつかは衰退の道をたどると思う。
社会に貢献するという自覚の下に事業を営み、その仕事を通じて新しい発明をし、その製品をより安く、より良いものに育て上げようという立場を離れては、今日の事業経営は成り立たぬと思う。
昔は、自分一人の生計のために、事業を営むことが許されていた。しかし、今日では、ただそれだけでは、健全な事業経営とはいえないのである。
私も4、5年前、独立して小さな工場を始めた当初は、このような自覚はなかった。ただ、なんとかして利益を上げよう、成功しようと自分を主体としてのみ考えたものである。もちろん、事業を営む以上、適正な利潤を上げることは重要なことである。しかし、そのうちに、ただ、これだけでは社会の一員としての義務が忘れられていると考えるようになった。
その考えは、さらに進んで、事業を起こした社会だけにとどまらず、世界に広がるような方法で、多くの人々に幸福で秩序ある、しかも豊かな生活をもたらす、進歩的な仕事へ拡大していくことを考えるようになった。
これが、われわれ事業を経営する者の使命であると思う。
このような立場で経営に当たれば、一見難しく思われる事業経営も、必ず前途に、成功が約束されていると考えるのである。