すさまじいスピードで進化し、社会を変えていくAI。独裁的な政治家によって破壊されつつある平和と民主主義。これらを目の当たりにした人の多くは、今の世界に「混乱の極み」を感じているはずです。しかし、マッキンゼー勤務ののち、ソフトバンクの孫正義社長のもとで長らくその未来構想力を見続けてきた安川新一郎氏は、次のように断言します。
「今という時代が変動的(Volatile)で、不確実(Uncertain)で、複雑(Complex)で、曖昧(Ambiguous)なVUCAに見えるのだとしたら、それは【これから何が起きるかを思考するための具体的な技法】を持っていないからなのです」
本連載は、その「これから何が起きるかを思考するための具体的な技法」を伝える書籍、『未来思考2045』の一部を修正して公開するものです。

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AIで置き換え可能な未来予測、人類の生存戦略としての未来思考

 人類は誕生以来、その歴史を通じて自身や他者の死、また季節や天体のリズムの観察から徐々に自らを取り巻く「時間」を理解してきました。10万年前の埋葬跡や副葬品などからも、すでに死後の時間の継続を想定していたことがうかがえます。また1万年前ごろから季節や天体のリズムを観測して暦(こよみ)を作成しています。そして、世界各地で哲学や宗教が生まれた2500年程前には、終末観や輪廻転生など、自己の生涯の先の未来の存在を明確に意識しています。古代ユダヤの予言者、デルフォイの神託、黙示録、占星術、透視術など。古来人間は、「未来に何が起きるのか」に強い関心を持ってきました。

 私たち人類は、なぜ未来にこれほどの関心を持ち続けてきたのでしょうか。それは未来に何が起きるのかについて考えることが、生物としての生存戦略上、重要だったからです。

 私たちは日常的に、未来を予想し、誤差を最小化するよう認識を改めるか行動することで、危険を回避し、より魅力的で望ましい方向へ自ら進もうとします。

 ここで重要なのは、この未来を予想する(仮説を持つ)という本能の目的が、「正確な予測」にあるのではなく、不確実であっても、自分にとっての何らかの意味を認識し、必要に応じて行動を取るということ―すなわち生物として生存するための技法(survival technique)にあるということです。

 ひるがえって、未来予測は、過去データをもとに回帰分析したり(帰納)、与えられた前提条件のもとで論理試算したり(演繹)することで、未来の数値や確率を高精度に予測するものです。しかし、単なる未来予測は、予測精度を高めることが自己目的化し、生存のために必要な世界の認識の更新を促さないことがあります。

 人間は、何らかの仮説を持たずには生きてはいけません(それは時に、予定、前提、仮定、想定、理想、夢、ビジョンなどさまざまに呼ばれます)。世界がなぜこうなっているのか、これからどうなりうるのかについて、たとえ暫定的でも説明がなければ、強い不安と行動不能に陥ります。

 この世界に対して「仮説を持たずにいられない」という性質こそが、生物的制約であり、同時に人間知性の根源でもあります(*1)。

*1 このことを最も端的に説明する理論が、神経科学者カール・フリストンによって提唱された、生命体全般に当てはまるとされる「自由エネルギー原理(Free Energy Principle)」です。これによれば、生物(脳)は、常に「外界についての内部モデル(予想)」を持っています。その内部モデル(予想)と感覚入力(現実)とのズレを「予想誤差(フリーエネルギー)」と呼び、生物は生存し続けるために、この予想誤差(フリーエネルギー)を最小化することで、生存状態を維持しているとされています。
 具体的には、(1)感覚データが予想と違った場合、脳は「内部モデル(知覚/認識)の更新」を変えるか、(2)逆に感覚データが予想通りになるように、身体を動かして「現実の世界」を変えるか、いずれかによって予想誤差を減らすとされています。難解に聞こえますが、私たちも、不確実な出来事に接した時、まずよく観察して情報を集めて認識を改めるか、回避するなどの具体的な行動を取るなどを日常的におこなっています。

 ここが、AI(人工知能)との大きな違いになります。過去データの機械学習をもとに回帰分析したり、与えられた前提条件のもとで時系列統計解析することで、未来の数値や確率を高精度に予測する未来予測は、AIが得意な帰納や演繹の領域です(*2)。今後AIが高度化するほど、与えられたモデルでの未来予測は、AIの得意領域になります。

*2 たとえば、AIは今や過去の膨大な観測データと地形データの学習によって100m四方単位(100mメッシュ)の超局所的な天気予報を「予測」することもできます。

 しかし、それは人間の未来に向けての思考が、不要になるというわけではありません。むしろ、不確実性が高まり、さまざまな前提が崩れ、因果関係が見えなくなり、過去の延長線が通用しなくなるほど、世界をどのように認識し、どのように意味づけ、どのような本質的な問いを立てていくか、についての考える知性の役割は高まっていきます。たとえば「どの世界モデルを採用するか」「どの仮説を選択して行動するか」「どのような価値観にもとづいてどの変数を優先させるか」などの問いです。

 それはまさに生存のための環境との予想誤差(*3)=逸脱(divergence)や不安(surprise)を最小化したいという人間知性の領域です。

*3 本書では、混乱を避けるために、統計やモデルに基づき将来の数値や状態を当てにいく行為を「予測」と呼び、自由エネルギー原理における生物が無意識に持っている「世界はこうなっているはずだ」「次にこう感じるはずだ」という内部モデル上の見込みとしてのpredictionを「予想」と表記しています。ここで扱う「予想誤差」とは、未来を当て損なったことではなく、世界が想定外に振る舞ったときに生じる違和感や不安そのものです。

 未来思考とは、未来を正確に当てる予測ではありません。文明の未来についての教養の一形態でもありません。

 未来思考とは、未来がたとえ予想外の事態になっても、私たちが世界の意味を解釈し、存在を維持するために必要な行動を取り続けることを目的とした、生物の生存本能に基づいた具体的な戦略と技法なのです。