◆「変われる組織」と「潰れる組織」の決定的な違い…女王マリア・テレジアのすごい一手
悩んだら歴史に相談せよ『リーダーは日本史に学べ』の著者が、舞台を世界へ広げたリーダーは世界史に学べ。東京大学・羽田 正名誉教授の監修のもと、世界史に名を刻む35人の言葉から、現代のビジネスに必要な「決断力」「洞察力」「育成力」「人間力」「健康力」と5つの力を磨く術を解説する。

【絶対NG】ピンチを嘆くリーダーは三流…オーストリア女王が「最強の宿敵」を利用してやった大改革Photo: Adobe Stock

なぜマリア・テレジアは
「最大の宿敵」の登場で強くなれたのか?

マリア・テレジア(1717~1780年)は、オーストリアの女王。中世から続くヨーロッパの名門、ハプスブルク家の一員として生まれる。父カール6世には男子の後継者がいなかったため、女性ながらもハプスブルク家の王位を継承する。この継承を認めない列強や周辺国との間でオーストリア継承戦争が勃発したが、従来反抗的だったハンガリーを味方につけることに成功し、最終的に王位を維持。継承時にプロイセンのフリードリヒ2世(大王)によって奪われた領土をとり戻すため、七年戦争を行う。フランスやロシアと同盟を結び奮戦したが、最終的には領土の奪還には至らなかった。内政面では、初等教育の義務化や表現の自由を進めるなど、啓蒙専制君主としての姿勢を示す。これにより、18世紀ヨーロッパの歴史において重要な人物の一人として記憶されている。

女王マリア・テレジアの試練と
奪われた要衝シュレージェン

女性として初めてオーストリアの王位を継承したマリア・テレジア。彼女の王位継承時には、それを認めない列強や周辺国との間で「オーストリア継承戦争(1740~1748年)」が勃発しました。しかし、彼女は卓越したリーダーシップを発揮してこの危機を乗り越え、見事に王位を守り抜きます。

とはいえ、マリア・テレジアは王位を維持できたことだけで満足していたわけではありません。なぜなら、この戦争によって、オーストリア領だった「シュレージェン」をプロイセンに奪われたままになっていたからです。

最大の宿敵は元花婿候補
文武を兼ね備えたプロイセン王フリードリヒ2世

プロイセンに奪われたシュレージェンは、鉄鋼や繊維などの産業が発展した、経済的にも戦略的にも極めて重要な地域でした。そして、この地を支配していたのが、後にマリア・テレジアにとって最大の宿敵となるプロイセン王「フリードリヒ2世」です。

実はフリードリヒ2世は、若き日にはマリア・テレジアの花婿候補の一人と目されていた人物でもありました。

文化人としての顔: 文学と哲学を愛し、自らフルートを奏で、詩を吟じる教養と感性に溢れた人物
指導者としての顔: 冷静沈着な軍略家であり、優れた国家経営者

彼は父から引き継いだプロイセン軍を近代的に再編し、さらにシュレージェンの工業化を推進することで、軍事と経済の両面から国家の力を急速に強化していきました。「詩人の顔を持つ鋼鉄の王」の矛先は、再びオーストリアへ向けられようとしていたのです。

「国の底力」を再構築する
失地回復へ向けた制度改革の断行

この差し迫った危機に対し、マリア・テレジアが選んだのは、外交的な交渉でも懇願でもありませんでした。彼女が決断したのは、徹底した制度改革による「国の底力」の再構築です。マリア・テレジアは、主に以下のようなドラスティックな改革を次々と断行しました。

中央集権化の推進
地方に分散していた行政権と司法権を中央政府へ集約しました。これにより、それまで権力を持っていた貴族や教会の影響力を抑え込み、安定した税収基盤と徴兵体制を確立します。

常備軍の整備
各貴族が個別に率いていた「寄せ集めの兵」を改め、国家が直接指揮する常備軍を創設しました。

身分に囚われない人材登用
将校を育成する軍学校を新たに設立し、平民や農民の子弟にもその門戸を開きました。これにより、有能な人材が身分に関係なく登用され、オーストリア軍の実力は大きく底上げされることになります。

マリア・テレジアの改革の本質は、単なる目先の軍拡ではありません。それは、「国民を守り、誇りある国家を再建するための骨太な基盤づくり」だったのです。シュレージェンを奪還するという一点に向けて、彼女の改革の手が緩むことはありませんでした。