【大人の教養】ホルムズ海峡は石油だけじゃない…前6000年紀の船が語る意外な歴史とは?
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
本連載では、海峡・山脈・河川などの地形を手がかりに、世界史を読み直していく。著者は代々木ゼミナールの世界史講師で、「地図の鬼」と呼ばれる伊藤敏氏。オリジナル地図を通じて、ホルムズ海峡やシルクロードなどの歴史的背景を立体的に理解でき、歴史と地理を同時に味わうことができる。本稿は、伊藤氏の近刊『地図で学ぶ「深読み」世界史』を一部抜粋したものだ。

【大人の教養】ホルムズ海峡は石油だけじゃない…前6000年紀の船が語る意外な歴史とは?Photo: Adobe Stock

ホルムズ海峡は石油だけじゃない…前6000年紀の船が語る意外な歴史とは?

 ホルムズ海峡は中東とインドをつなぐ中継路にあり、古代から多くの船舶が往来していました。前2700年頃、古代メソポタミアで文明を築いたシュメール人も、ペルシア湾を通じた海上貿易に従事しており、彼らの記録には「ディルムン」と「メルッハ」という地名が登場します。

 ディルムンは現在のバーレーンにほぼ比定され、前4000年紀後期から前800年頃まで中継貿易の拠点として繁栄しました。一方のメルッハは、現在ではインダス文明を指すと考えられています。

 また、現在のクウェートでは前6000年紀中期の海上輸送船も発見されており、ペルシア湾沿岸の人々が古くから海上貿易に積極的だったことがわかります。

 ディルムンの衰退後は、アラビアの古代都市ゲラがペルシア湾南部に影響力を広げました。ゲラは海上貿易路だけでなく、アラビア半島とメソポタミア、シリア、エジプトを結ぶ陸上貿易路の結節点でもありました。さらに後300年頃には、アラビア半島東部に成立したラフム朝がペルシア湾へ進出します。ラフム朝は、東ローマ帝国の宗主下にあったガッサーン朝と対立し、これに対抗するため中東の大国サーサーン朝と同盟しました。後年には、ラフム朝はサーサーン朝の実質的な被保護国となっていきます。

イスラーム世界の広域交易とペルシア湾口の繁栄

 ラフム朝およびサーサーン朝は、7世紀にアラビア半島に勃興したイスラーム勢力(正統カリフ)によって征服され、ペルシア湾とホルムズ海峡を介した海上貿易はムスリム商人の手に移ります。ペルシア湾はアラビア半島やイラク(古代のメソポタミア)、イランとインドを結ぶ中継点であるのみならず、この海域は漁場や真珠にも恵まれ、これら漁業資源も交易品として大いに活用されたのです。

 ペルシア湾とホルムズ海峡は、ウマイヤ朝(661~750)やアッバース朝(750~1258)といった広域王朝の支配下に置かれます。アッバース朝はイラク中部のバグダードを首都としました。ティグリス川に面したバグダードは、この大河(およびシャトゥルアラブ川)を通じて、ペルシア湾岸の港湾都市バスラと結ばれていました。バスラは正統カリフ時代(632~661)の638年に建設された、イスラーム史上初のミスル(軍営都市)として出発しましたが、運河によってペルシア湾と接続され、また周囲が肥沃な農業地帯に恵まれたことから、穀物の集積地としても重要な役割を果たしました。下図を見てください。

【大人の教養】ホルムズ海峡は石油だけじゃない…前6000年紀の船が語る意外な歴史とは?出典:地図で学ぶ「深読み」世界史

 しかし、このイラク南部を中心とするペルシア湾口は、9世紀にイラク南部で生じたザンジュ(黒人奴隷)の反乱や、13世紀のモンゴル(チンギス・カンの孫フレグがアッバース朝を滅ぼします)、14世紀のティムールの来襲によって荒廃し、バグダードも2度にわたって破壊されたことで、その繁栄は終焉を迎えます。

(本原稿は『地図で学ぶ「深読み」世界史』を一部抜粋したものです)